今から33年前の1989年(平成元年)2月25日、新日本プロレス「ビッグ・ファイト・シリーズ」開幕戦が行われた沖縄・那覇市奥武山体育館。

 前座第1試合が始まる午後7時――リングに向かい小走りに若手が登場かと思いきや、なぜか〝燃える闘魂〟アントニオ猪木が歩いてやって来た。

 ガウンは身に着けず、赤の闘魂タオルを首にかけているだけ。付き人の大矢健一(後の剛功)の先導で入場し、対戦相手のロン・スターと対峙した(写真)。 

 途中入場する客もいて落ち着かない館内。まばらな観客が見つめる中で始まった試合は5分41秒、グラウンドコブラで猪木が勝利。発表された観衆は3880人(超満員)だったが、猪木の試合を見逃した観客は少なくなかった。

 この日、控室に貼られていた対戦カード表(田中秀和リングアナの手書き)には試合開始直前に組み合わせ、試合順を変更したこん跡が残っていた。メインに予定されていたのは猪木&藤波辰巳(現・辰爾)組VSボブ・オートン・ジュニア&スター組。しかし、猪木とスターの名前は二重線で消され、1試合目に猪木VSスターと書き加えてあった。

 猪木は試合を終えるとジャージに着替え、竹刀を持ってリングサイドの本部席に座りメイン終了まで試合を見守った。
 
「新日プロは大きな曲がり角にきている。もう一度、一からやり直していかなければならない必要がある」。猪木は試合終了後、東スポの直撃にそう明かした。

 猪木はこのシリーズで全戦第1試合に出場し、当初は外国人レスラーが相手だったが、その後スーパー・ストロング・マシン(3月5日、山口県体育館)、馳浩(12日、後楽園)、ジョージ高野(13日、埼玉・草加)、鈴木実(現・みのる。15日、名古屋)、藤原喜明(16日、横浜)ら日本人選手との対戦も実現した。

 馳戦の試合後には控室で藤原、ジョージ、越中詩郎の3人から対戦要求され、猪木は藤原を指名。これに納得できない越中はリングサイドに陣取る猪木に直談判した。癇(かん)に障ったのか、猪木は衆人環視の中で越中を竹刀で引っ叩いた。

 その越中とは次のシリーズ開幕戦(4月13日、新潟・上越)で対戦した。このシリーズからは第1試合出場を終了し、セミファイナル特別試合で行われて越中をバックドロップで一蹴した。

 異色だったのは鈴木戦。デビュー約9か月の一介の若手を相手にするのは賛否あったが、後年、鈴木の活躍を見ると、猪木に先見の明があったことが伺える。

 ところで、選手にとって、本部席で竹刀を手にした猪木に試合を見られている状況は相当なプレッシャーだったろう。
 
 かつて猪木は、どこからともなく試合を見ていて、不甲斐ない試合をした選手を控室で制裁することがあった。そして、ときに藤原に命じることも…。

 83年11月21日の仙台大会、栗栖正伸VS後藤達俊戦でそれを目撃した。試合中、控室から竹刀を手に藤原が恐ろしい顔でリングに向かった。そして、試合をしている後藤を竹刀で殴打した。昔は新日本プロ全体がピリピリしたムードに包まれていた。

「だが、今はそんなムードがない」。猪木は直撃にそう答えてもいた。そんな思いが第1試合出場、試合の看視につながったようだ。  

 さて、そんな怖かった猪木は今年2月20日、79歳の誕生日を迎えた(敬称略)。