“炎の飛龍”こと藤波辰爾は現在、67歳にして元気にデビュー50周年ツアーを敢行中だ。9月17日ヒートアップ川崎大会では「ユニバーサル&PWLワールドチャンピオンシップ」2冠王者のTAMURAをコブラツイストで仕留めて王座奪取。1998年4月にIWGPヘビー級王座を奪取して以来、約23年ぶりにシングルのベルトを手にした。

 今回、2冠王となった藤波だが、実は自身初の「日米3冠王」に君臨していた時期がある。88年5月8日にビッグバン・ベイダーからIWGPヘビー級王座を獲得すると、同年に2本の海外王座を手中にしたのだ。

 10月に海外遠征に出発した藤波は、いきなり初戦の10月15日(日本時間16日)米オレゴン州ポートランドでマスクマンのザ・グラップラーが保持するパシフィック・ノース・ウェスト(PNW)ヘビー級王座に挑戦。31分28秒の激闘をサソリ固めで制し、新王者に輝いている。

 藤波は翌々日の17日にテネシー州メンフィスでAWA世界ヘビー級王者の“南部の帝王”ことジェリー・ローラーに挑戦を控えており「オレゴンのローカル王座を逃しているようでは世界王座は無理だ。ローラーに勝って21日(日本時間22日)ダラスのケリー(フォン・エリック)とのWCWA王座戦はダブルタイトル戦にする」と意気込んだ。

 ローラー、ケリーとの王座戦連戦というハードスケジュールが組まれていたのだが、初戦の勝利で闘志は全開となった。

 しかしAWA世界戦はローラーの老かいなテクニックに翻弄され、試合のほとんどを支配しながらもエキサイトしすぎてレフェリーと衝突。35分20秒、反則負けで王座を逃してしまった。

 それでもAWA戦からわずか4日後、フリッツ・フォン・エリックが牛耳る敵地テキサス州ダラスに乗り込むと、エリックの三男ケリーと、IWGPヘビー級&WCWA世界ヘビー級ダブル王座戦で激突。序盤は好勝負となるも、AWA王者ローラーの乱入で無効試合に終わった。

「AWAに続く無念の結果に終わり申し訳ない…」と藤波は唇をかみしめたが、リベンジのチャンスは予想以上に早期に訪れた。12月9日新日本後楽園ホール大会で、ケリーとのIWGP&WCWA世界ダブル王座戦の再戦が組まれたのだ。

 試合は序盤からヒートアップ。場外でケリーがアイアンクローを離さずに両者リングアウト。しかし再試合のゴングが鳴らされ、怒りの飛龍と化した藤波は、ケリーのイスを取り上げて逆に頭を痛打。鉄柱に叩きつけ大流血に追い込むと、ケリーは半失神となりレフェリーが試合を止めた。日本人初のWCWA世界王者となり、堂々たる3冠王となった。

「気持ちはスッキリしない。米国に行く前に結論を出す」と藤波は不完全燃焼の悔しさをあらわにした。藤波は休む間もなく、翌日に再び米国遠征に向かうのだが、試合内容の反省と翌年2月のAWA世界王座挑戦を視野に入れるため、WCWA王座を返上。しかも12月10日(日本時間11日)にはポートランドで前王者のザ・グラップラーに敗れ、PNW王座も失ってしまう。

「日米3冠王」は「三日天下」に終わってしまい、藤波は「何も言うことはない」と肩を落としたが、歴史に残る快挙だった。 

 翌年4月18日には全日本プロレスのジャンボ鶴田が3冠を統一したため「3冠王」は全日本の看板となったが、藤波はライバル・鶴田より約4か月早く「3冠王」となっていたのだ。(敬称略)