【プロレス蔵出し写真館】対戦相手のストロング小林(後に俳優・タレントに転じたストロング金剛)が待つリングに、初来日となる一人の黒人レスラーがマサ斎藤とともにリングインした。

 198センチ、150キロの巨漢レスラーで、来日直前にはロサンゼルスでアメリカスヘビー級王座も保持。〝ブッチャー二世〟とも呼ばれた28歳のクレイジー・レロイ・ブラウンだ。

 斎藤の手には水の入ったビール瓶が握られている。ブラウンは両手をヒザに当てて中腰になり、顔を斎藤の前に突き出した。

 これは今から42年前の1979年(昭和54年)6月29日、埼玉・大宮スケートセンターで行われた新日本プロレス「サマー・ファイト・シリーズ」開幕戦での出来事。テレビは生中継。今から何をしようとするのか、大方の観客&視聴者は理解した。

 斎藤はブラウンの前頭部に狙いを定めると、振りかぶってビール瓶をブチ当てた(写真)。

 瓶は…残念ながら割れなかった。もう一度、殴りつけると中の水が飛び散ったが、瓶は割れなかった。ブラウンの額からはうっすら血が滲む。

 ならばと、斎藤は瓶を両手で持って殴ってはみるものの、それでも瓶は割れなかった。割るのを諦めたブラウンは流血した額の血を手でぬぐい、その血が付いた指を舌なめずりした。微妙な館内の空気とともに、なんともいえないシュールな光景だった。

 試合が始まると小林をほぼ一方的に痛めつけ、とどめのヘッドバットを浴びせ、わずか2分49秒で小林を葬った。しかし、試合よりもデモンストレーション失敗の方が、強く印象に残ってしまったのは言うまでもない。

 さて、ビール瓶は昭和から平成にかけタイガー・ジェット・シンやアブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シーク、上田馬之助らがよく凶器として使用していた。

 取材した中で印象に残っているのは、SWSで天龍源一郎がキング・ハク(全日本プロレス時代はプリンス・トンガ)に脳天を痛打された場面と、その後の経緯。

 91年5月23日、後楽園ホールで行われた天龍、ジョージ高野組VSハク、ランディ・サベージ組の一戦で場外乱闘になり、ハクが天龍の脳天をビール瓶で殴打。ビール瓶は衝撃音とともに割れ、破片が飛び散った。

 天龍は後遺症を訴え、25日の横須賀大会を入院検査のため欠場。全日マットで88年7月27日、長野のPWF&UNヘビー級2冠戦でスタン・ハンセンに顔面を15針縫うケガを負わされ、次のシリーズを開幕戦から欠場したが、その時以来の欠場だった。

 天龍は「遠近感がない。頭がボーっとするというのか、モヤ~として痛い。特に力を入れるとキリでもまれるような激痛が走る」。電話取材にそう答えた。

 そして、6月1日に大阪・阪神百貨店で行われたトークショーに事故発生後、初めてファンの前に天龍は姿を見せ、質疑応答に「以前のSWSは面白くなかったが、今は面白い。もっと面白くしようと思ってガンガンいったら谷津(嘉章)にイスで、トンガにビール瓶で脳天をカチ割られてしまった」と苦笑いを浮かべた。

 頭にビール瓶の破片が残っていて、時折頭痛と吐き気があるとも語った天龍は、7日の両国大会でなんとか復帰を果たした。

 ビール瓶での強烈な一撃で代償は負ったが、頑丈で打たれ強いハクとの絡みで試合内容には満足そうだった天龍。ハクと全日本時代の強い信頼関係があったからこそ、ビール瓶での攻防が生まれたとも言えるだろう。

 いずれにしても、ビール瓶が痛みの伝わるアイテムだったのは間違いない(敬称略)。