巨人の守護神チアゴ・ビエイラ(29)がレジェンド助っ人の系譜をたどり始めている。今オフは球団側からすれば〝メジャー流出危機〟でもあったが、剛腕は夢の扉にひとまず自ら鍵をかけた。来日時は手の施しようのないほどのノーコン投手だったが、とてつもない努力を重ねてスターダムにのし上がり、ついには〝門下生〟も登場。そのチーム愛と献身的な姿勢は、あの超優良助っ人とうり二つだ。


 頼もしい男が戻ってきた。13日に来日したビエイラは隔離期間と所定の検査を済ませ、24日には今年初めてジャイアンツ球場で自主トレを行った。オフの間、球団側が「(代理人に契約内容を)投げているんだけど、なかなか返事がこない」と気を揉んでいたのが、その去就だった。

 水面下ではメジャー球団との間で駆け引きが繰り広げられたが、残留する決め手は何だったのか? ビエイラは「ジャイアンツが自分に合っているチームで、自分に対して良く接してくれている。何よりジャイアンツが日本でプレーするチャンスをくれた。それとSNSで多くのジャイアンツファンから『ジャイアンツに残ってほしい』というメッセージをいただいた。そういうファンの声もあって残留しました」と説明。実際にメジャーからオファーがあったことを認めつつも「契約の詳しい内容に入る前に残留することを決断していたので、詳しい内容までは把握していない」と選択の余地すらなかったという。

 こうなると、ますますあの剛腕の姿が重なってくる。来日から2019年までの8年間、巨人ひと筋に生き、現在は球団の米国OBスカウトとしても活動するスコット・マシソン氏(37)だ。

 両者の共通点は少なくない。来日当初は160キロ前後の剛速球を投げるも、制球力は壊滅的。それでもコーチ陣の助言を熱心に聞き入り、他球団の選手たちがうなるほどの練習量で力をつけ、地位を確立していった。

 そうしたチームへの感謝から、マシソン氏もメジャーからのオファーを断った過去がある。17年オフ、当時33歳で移籍するには年齢的にもギリギリのタイミングだったが「チームへの愛着はあるし、仲間たちにも恵まれている。米国にいた時はケガばかりしていた。これまでのキャリアを築けたのは、ジャイアンツのトレーナー陣のおかげなんだ。だから僕はいいプレーをして恩返しがしたいんだ」と泣かせるセリフを口にしていた。

 また、マシソン氏は自宅があるフロリダに戸根を招いて合同自主トレを行うなど、後輩選手に知識や経験を惜しげもなく還元した。ビエイラもこの日、昨年8月に加入した育成のダニエル・ミサキ投手(25)を練習パートナーにしながら熱心に指導。巨人での出発点から成長過程、さらに後進の育成まで、ビエイラが歩む道はマシソン氏がたどった軌跡と同じだ。

「セーブ(の数)を考えるより、チームが勝つために。そういう思いでやっていきたい」。昨季、日本球界最速記録の166キロをたたき出した〝マシソン2世〟が今年もマウンドで絶叫する。