【久保康生コラム】誰が見ても奇麗なフォーム、球筋なのに打たれてしまう苦悩

2022年01月05日 11時00分

能見(右)は久保コーチに涙を流して訴えた(2006年、東スポWeb)
能見(右)は久保コーチに涙を流して訴えた(2006年、東スポWeb)

【久保康生 魔改造の手腕(22)】2005年に岡田彰布監督からお誘いを受け、阪神の投手コーチに就任しました。

 新しく編成した「JFK」や、先発転向した安藤優也らが思惑通りに機能し、チームもリーグ優勝を果たすことができました。

 強いチームは試合に起用される選手がある程度、固定されてしまう傾向にあります。すると、若い選手は少ないチャンスで結果を残さないといけない。

 04年ドラフト1位で入団していた能見篤史は、リーグ優勝した05年にルーキーとして4勝を挙げていました。ですが、そこから伸び悩んでいました。

 一軍選手としての実力は十分にありました。ただ、能力に見合った結果を出せない。フォームもボールも素晴らしい。二軍にいる選手ではない。でも、なぜか打たれてしまう。そういう位置付けの選手でした。

 08年、岡田阪神最終年となったチームは前半戦に快進撃を続けました。それでも最後は巨人の驚異的な追い上げに遭い、大逆転で優勝をさらわれました。このシーズン、飛躍した選手もいた一方で能見はプロ入り初の未勝利に終わります。

 ウエスタン・リーグでは抑えの切り札として奮投し、29試合で5勝11セーブ、防御率0・83という圧倒的な成績です。それでも一軍では11試合、11回1/3で6与四球、被安打15、防御率4・76という何とも言えない成績です。

 彼は本当に苦労したと思います。誰が見ても奇麗なフォームで奇麗な球筋のボールがくる。実力があることは間違いないんです。でも、なぜ打たれてしまうのか。自問自答を繰り返して、本人ももがき苦しみました。

 いろんなことに取り組んでいたのもしっかり見守ってはいました。でも、私の目に映る能見の姿はあまり変わっているように思いませんでした。

 ある日、甲子園のベンチ裏の談話室に呼び出しファーム行きを告げました。現状でダメなら何か変えるしかない。本人の中では本当にいろいろと工夫して、ずいぶんいろいろと変えてきたつもりでしょうけど、また結果が出ませんでした。

 その時の能見は涙をボロボロ流しながら「もうこれ以上、変えるところなんてありません」と訴えました。もう一生懸命やって、全部出し切ったというわけです。

 人というものは、どうにもならなくなったとき、もう後がないとき心の奥底から何とかしようという渇望が生まれます。そうでないと自分から行動を起こしません。

 その時の能見はその状態だったと思います。すべてを出し切ったという能見でしたが、私は「甘い甘い。まだまだそんな、やることはたくさん残っているよ」と話したのを覚えています。

 もっともっと変われる。まだ伸びしろは十分にある。そんなサジを投げてしまうような時期ではない。そうして奮起を促しました。こういう伏線があった後、能見はある行動に出ました。

 自分で考えて少し横から投げるという試みを見せてきたんです。人に言われてやるのとは違う。自らの意思で一度、スリークオーターまで手を下げて、横から投げていくっていうことを実践したんです。

 これはいいアイデアだ。やっと自分から動いてくれたという感覚でした。自分から動いたこのタイミングで、こちらも動くことにしました。

 ☆くぼ・やすお 1958年4月8日、福岡県生まれ。柳川商高では2年の選抜、3年の夏に甲子園を経験。76年近鉄のドラフト1位でプロ入りした。80年にプロ初勝利を挙げるなど8勝3セーブでリーグ優勝に貢献。82年は自己最多の12勝をマーク。88年途中に阪神へ移籍。96年、近鉄に復帰し97年限りで現役引退。その後は近鉄、阪神、ソフトバンク、韓国・斗山で投手コーチを務めた。元MLBの大塚晶文、岩隈久志らを育成した手腕は球界では評判。現在は大和高田クラブのアドバイザーを務める。NPB通算71勝62敗30セーブ、防御率4.32。

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