飯田徳治引退試合で見せた野村克也の粋な計らい

2021年10月31日 10時00分

南海時代の野村克也(東スポWeb)
南海時代の野村克也(東スポWeb)

【越智正典 ネット裏】飯田徳治が現役を引退してから1年たった1965年3月27日、横浜平和球場(横浜スタジアム)で飯田の引退試合、国鉄―南海戦が挙行された。プロ野球の名選手へのはなむけの引退試合は、巨人の猛牛千葉茂が最初で、それからミスター・タイガース藤村富美男、テスト生あがりの西沢道夫、青バットの大下弘、腕っぷしが強かった服部受弘、苦労人の川崎徳次、豪勇別所毅彦。ホトケの徳さんは8人目だった。飯田は前日、新しいバットをおろして一生懸命磨いていた。

 南海の先発投手は皆川睦雄。皆川は54年米沢西高校から入団。「神主一刀流」の豪打者岩本義行の弟、岩本信一が東北地方を旅していたときにひょいと見つけ、親分いけますぜ…と鶴岡に知らせたのである。

 入団第1年第2年、皆川はオフになると飛ぶようにして米沢に帰った。青果店を開いている母親を助けたかった。一緒に働いた。米沢西高は名君上杉鷹山の藩校に始まっている。校訓「人に道をゆずる」が、ずうーと守られている。それが誇りでもある。

 鶴岡は3年目に皆川を一軍に引き上げた。皆川は監督が見に来ても力まなかった。それから皆川は先発、中継ぎ、しめくくり、敗戦処理、なんでもござれ投手になった。鶴岡は179センチの長身、サイドスローの皆川をここというときにマウンドに送った。送り出すとき「ミナ、わかっとるな」「ハイ!」。たとえば先発投手が打ち込まれて大差をつけられた試合に…である。皆川は相手チームのバッターたちが打ちやすいところにいい球を投げて打たせた。南海は大敗。が、翌日、先発は皆川。前日が前日だったから相手は大振りになっている。南海が勝つ。鶴岡との呼吸はぴったりだった。

 給料が上がると車を買った。注文したのは赤い車。赤いのは当時珍しかった。ふだん、礼儀正しく、派手な立ち振る舞いなど決してなかったのに不思議だった。訊ねてみると「赤は目立つでしょ。スピードの出し過ぎなど違反をすると警察がつかまえてくれます。ありがたいことです」

 皆川は62年、66年、最高勝率、68年防御率第1位、最多勝(31勝)。南海18年、221勝139敗。飯田の引退試合のときは121勝をあげていたが、内角球を投げて先輩にぶつけたら大変だと外角を攻めた。6回、飯田の打席。2ボール2ストライクと記憶しているが、皆川の外角球に球審田代照勝の右手がぴくりと動いてあがりかけた。飯田三振と思ったファンもいただろう。するとそのとき、キャッチャー野村克也が名セリフを吐いた。

「いまのはボールです」

 野村は70年に南海の監督になってから「ボヤキ」で有名になったが、ボヤキではないもうひとつの名セリフがある。何年の正月だったか。
「しもうたあー。うちにくる新聞くばりの少年にお年玉を渡すのを忘れたあー」

 飯田は次の球を弾丸ライナーで右中間フェンスに叩きつけた。スタンドを埋めた惜別のファンは走る飯田に万雷の拍手を送った。     =敬称略=

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