【伊藤鉦三連載コラム】ナゴヤ球場最後の日に星野監督が涙と感動のあいさつ

2021年04月06日 11時00分

星野監督の就任会見(1995年10月26日)

【ドラゴンズ血風録~竜のすべてを知る男~(13)】10・8決戦の翌年1995年の中日は序盤から故障者が続出して低迷しました。6月には高木監督が休養してそのまま退任。徳武監督代行もシーズン途中で解任されて島野二軍監督が監督代行となりましたが、結局5位に終わりました。そしてシーズン終了後に星野仙一さんの5年ぶり監督復帰が発表されたのです。

 あの闘将が復活するということでチームの中には緊張感が充満します。そして星野監督はやっぱり厳しかったのです。神宮のヤクルト戦である選手がバントを失敗すると、星野監督は「名古屋へ帰ってバント練習しとけ!」です。その選手は試合中に荷物をまとめて名古屋へ帰り、夜中まで室内練習場でバント練習をしていました。

 さて、第2次星野政権1年目の96年シーズンは2年前の10・8決戦に負けないくらいセ・リーグの戦いが盛り上がった年でした。前半は首位・広島を2位の中日が追うという展開でしたが、広島に最大11・5ゲーム差をつけられていた巨人が長嶋監督の「メークドラマ」という言葉通り、猛反撃を開始。100試合目で首位に立ちます。しかし中日も負けてはいません。9月末から6連勝と粘り、残り3試合全勝すれば巨人と同率首位でシーズンを終えるところまで迫ったのです。そして迎えたのが10月6日、ナゴヤ球場での巨人との決戦でした。巨人が勝てば優勝、中日が勝てば残り2戦2勝でプレーオフとなります。

 中日の本拠地は翌年からナゴヤドームとなるため、これがナゴヤ球場最後の公式戦でした。ちなみにこの試合は関東地区で37・7%、名古屋地区で42・7%を記録(ビデオリサーチ調べ)したそうです。

 2年前に行われた10・8決戦のリベンジと臨んだ試合でしたが、中日は2―5で敗れ、またしても私たちの目の前で長嶋監督が胴上げされました。ナゴヤ球場最後の試合でV逸という残念な結果になり中日ナインもみんな意気消沈。スタンドのファンもがっかりです。

 長嶋監督の胴上げの後、ナゴヤ球場のサヨナラセレモニーが行われました。首脳陣、選手、スタッフ全員がグラウンドに整列。そこで星野監督があいさつしたのですが、これが素晴らしかった! レフトスタンドの巨人ファンに手を挙げ「ジャイアンツファンの皆さん、おめでとう!」と祝福したのです。その瞬間、巨人ファンも中日ファンも関係なく拍手と大歓声。ナゴヤ球場48年の歴史に幕を下ろすのにふさわしい盛り上がりを見せました。

「今日の悔しさを胸に秘め、来年ドームで出直します。サヨナラ! ナゴヤ球場。世界一のグラウンドです」。涙声でそう語った星野監督にスタンドのファンも整列していた選手、スタッフもみんな感動です。「伊藤先生、うちの監督はあいさつしたら日本一ですよ」。隣にいた金村義明が私にそう言ってきたのですが、もちろん私も同じ気持ちでした。

 ☆いとう・しょうぞう 1945年10月15日生まれ。愛知県出身。享栄商業(現享栄高校)でエースとして活躍し、63年春の選抜大会に出場。社会人・日通浦和で4年間プレーした後、日本鍼灸理療専門学校に入学し、はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得。86年に中日ドラゴンズのトレーナーとなり、星野、高木、山田、落合政権下でトレーナーを務める。2005年から昇竜館の副館長を務め、20年に退職。中日ナイン、OBからの信頼も厚いドラゴンズの生き字引的存在。

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