元阪神・的場寛一さん トライアウトで入部した世界企業トヨタから転職、独立起業したワケ

2021年04月04日 10時00分

笑顔で業務をこなす的場さん(本人提供)

【異業種で輝く元プロ野球選手】不安定とされる勝負の世界から、世界レベルの安定企業へ。そしてさらに転職、独立起業という数奇な人生。人生すなわち挑戦。そんなライフスタイルを1999年阪神ドラフト逆指名1位・的場寛一さん(43)は歩んでいる。

 現在は「DNS」というプロテインやサプリメントを扱うブランドの代理店を立ち上げ、営業に邁進。自宅のある都内から関東エリアの社会人、クラブチーム、大学、高校の野球チームに体づくりの重要性を説いて回っている。

 的場さんは阪神に入団後、2度の左ヒザの手術や右肩の脱臼など故障の連続。走攻守三拍子揃ってこその選手だったが、実力を発揮できないまま6年で戦力外通告を受けた。そして「思い出づくり」と臨んだトライアウトで、補強ポイントと合致したトヨタ自動車野球部へ2006年からの入部が決まった。

 当時のトヨタは強豪ではなかった。だが、在籍選手や入団予定選手のリストを見るとアマ球界の有名人がズラリ。「知っている名前ばかり。これはうかうかしていられない。教えてあげるとかの問題じゃないぞ。新人くらいの気持ちで取り組まないと」と原点回帰した。

 気持ちは伝わった。徐々にチームメートとも打ち解けた。社会人日本選手権連覇など強豪チームへの基礎を築き、在籍7年間で爪痕を残した。

 その後は人事部に配属され、企業人として働いた。「周りは東大、京大卒の人ばかり。本当にいい経験でした。7万人企業、トヨタのすごさを思い知りました」と、巨大企業の組織力を体感した。

 世界企業の一員として安定の生活。ここを最後の職場と考えるのが普通だろう。だが、的場さんは違った。アスリート魂がムクムク暴れだした。

「スポーツを通じて世界を豊かにする」という企業理念に引っ張られ、スポーツメーカーのアンダーアーマーに転職。さらに、同社の事業の一部だった「DNS」が子会社化されるタイミングで、今年3月から独立の道を選んだ。

 アスリートのボディーメークへの意識は、的場さんがプロ入りした当時とは大きく変わった。

「DNSという商品を全国制覇させたい。全国に浸透させて、日本全体のフィジカルの底上げをして、競技レベルを上げたい」

 40代半ばで起業というリスクも恐れない。タテジマでは志半ばに終わってしまった。だが、人生の挑戦はまだ終わっていない。

 ☆まとば・かんいち 1977年6月17日生まれ。兵庫県尼崎市出身。愛知・弥富(現愛知黎明)高から九州共立大を経て、1999年ドラフト1位(逆指名)で阪神入団。度重なる故障で2005年オフに戦力外通告。06年から社会人のトヨタ自動車でプレー。同社で勤務した後、アンダーアーマーを経て21年3月に独立。NPB通算24試合出場、打率1割4分3厘、0本塁打、1打点。

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