来年3月退職 オリックス〝鬼寮長〟宮田典計氏が回想「印象的なのは門田博光さん」イチローは…

2020年08月30日 05時15分

長年オリックスを支え続けてきた宮田典計氏

 オリックス合宿所「青濤館」の宮田典計寮長(65)が来年3月に退職する。2013年7月から神戸と大阪で寮長を務め、寮生としての若手を指導。厳しさと優しさを持って私生活面に目を光らせてきた。そんな宮田寮長が約7年間の寮長生活を振り返り、さらに阪神、阪急で投手を務めた現役時代、打撃投手として偉大な打者に投げ続けた思いを語った。 

 

 ――2013年7月から神戸と大阪で合宿所の寮長を務め、来年3月に退職が決まった。思い出は多い

 宮田寮長 大変やったんは一昨年の夏に台風で停電になったこと。夕方に電気が使えなくなって、食堂で懐中電灯と携帯電話の明かりで食事をさせました。調理もできないからあり合わせのもの。次の日の朝用にコンビニでパンを50個くらい買ってきて。選手が暑くて眠れないと言うんで近くのホテルに泊まらせました。翌日復旧し、宿泊代をあとで返してね。神戸では室内練習場の消火栓が凍結で破裂して噴出したこともありました。

 ――寮長が面倒をみた吉田正尚、山岡泰輔、山本由伸らが今は主力に成長している

 宮田寮長 うれしいことやね。吉田は腰痛でリハビリ中、よく一緒に食後にサロンのマッサージチェアに座ってたんです。ウチの試合中継を見てるんですけど、あいつはイニングが終わるたびにチャンネルをすぐ変えよるんです。ヨソの試合の投手を見てチェックしてたんですね。

 ――生活態度は

 宮田寮長 吉田の部屋はぐちゃぐちゃ(笑い)。なんせ物があふれて入りきらん。ウエアや靴、バットとか業者からもらった物とか…。整理整頓するタイプじゃないね。山岡は1年だけしかいなかったけど、きれいに整理整頓できてた。由伸で印象にあるのは…オフの時期、僕が出勤で寮に向かう途中、朝8時にバス停でバスを待っていると、由伸が降りてくるんです。何度も会いました。トレーニングに行くために早くからどこかに向かってる。まだ1年、2年目なのに自分のやることをしっかり決めてやってる。寮の設備でできないことを外のトレーナーに見てもらっていたと思います。

 ――2年目の太田椋、ルーキーの宮城大弥は

 宮田寮長 太田は普通に真面目で優等生。宮城君は…まだわからん。部屋はきれいと思う。

 ――合宿所では口うるさい鬼寮長

 宮田寮長 思ったことは言うね。出かける時にダボダボのパジャマみたいな服を着たり、サンダル履きとか…。みんな「ファッションですよ」と言うんだけど、サンダルは爪をケガすることもあるし危ないでしょ。食事の時はみんなスマホをいじってるし、音が大きかったら「やかましい」と言います。話しかけてイヤホンしていたらイラッとくる時もあるよ(笑い)。ヒジをついて食べたらいかんと注意するし、僕が嫁さんに言われているようなこと(笑い)。

 ――選手に言い聞かせてきたことは

 宮田寮長 しっかり準備をしなさい、ですね。生活もそうやし、野球でも次に何をすべきか、を考えてる選手と考えてない選手は全然違ってくる。あと今の子は外に出かけなくなったね。出てもコンビニばかり。門限さえ守ればいろんな人と会って視野を広げればいいと思うんですよね。

 ――1975年のドラフト3位で阪神に入団。78年にプロ初勝利を挙げた

 宮田寮長 9月27日の中日戦で、ちょうど誕生日の日に先発させてもらって5回を抑えました。でも、それより前にリリーフで行って勝てそうな試合があったんやけど、山本和行さんが打たれて勝てなかった。その悔しさの方が残っています。

 ――81年の6月にトレードで阪急に移籍した

 宮田寮長 その時も一、二軍の行ったり来たりが続いていたし、そんな時に会社から「日本ハムか阪急やったらいけるで」と言われて「阪急でお願いします」と。そんなもんで決まるんかと思った(笑い)。阪急は強かったし、山田久志さんとか福本豊さんとかすごい選手がたくさんいてる。なんでこんなに人気ないんかと思った(笑い)。阪神みたいに負けて外野にビール瓶は飛んでこなかった(笑い)。野球環境はやりやすかったね。

 ――84年に引退後、長らく打撃投手を務めた

 宮田寮長 ホンマはもっと現役を続けたかったけどね。当時は二軍の選手が一軍の練習を手伝いに行っていたんです。僕も行って投げていた。コントロールには自信があったのでそれを見て上田(利治)監督に「ずっと投げてくれ」と言われたんです。それでもうええかな、と…。

 ――印象に残る打者は

 宮田寮長 門田(博光)さんかな。門田さんは「全力で投げてくれ」というんです。速い球が一番しんどい。140キロくらいは出ていたと思うけど、今もヒジを伸ばした時に真っすぐにならないんです。門田さんのせいですよ(笑い)。打席よりもマウンド寄りに立って打ったりね。

 ――イチローは

 宮田寮長 彼からは注文はなかったし、僕の方で少しずつボールの出し入れを考えて投げていました。いろんな打球を飛ばし、考えながら打っていましたね。僕はスコアラーを打撃投手兼任でやっていたんですけど、99年に会社に査定専任と言われたんです。そしたらイチローが社長に「宮田さんにもう1年やってもらいたい」とお願いに行って、それで1年続けることになった。気に入ってくれていたんですね。今も毎年オフに会うし、もう寮長やめるねん、という話もしてます。昔よりよくしゃべるし、表情も豊かになったね。

 ――チームは長らく優勝から遠ざかっている

 宮田寮長 今は夜中に室内の電気をつけて打つ選手もいないし、昼間の練習でヘトヘトになるんでしょう。でもイチローみたいにやらなあかんと思う。夜中でも使っていいんやから。最後に優勝を見たいですよ。

 


 みやた・のりかず 1954年9月27日、兵庫県加東市出身。社高から社会人・鐘淵化学に進み、エースとして75年の日本選手権に優勝。MVPに輝く。同年のドラフト3位で阪神に入団。78年には14試合に登板し、9月に先発でプロ初勝利を挙げた。81年6月に金銭トレードで阪急に移籍し、84年に引退した。実働7年で通算成績は36試合に出場し、1勝1敗。引退後は球団に残り、打撃投手、スコアラー、査定担当を務め、2013年から合宿所「青濤館」の寮長に就任した。