いつも見かける謎のおっちゃんが木庭スカウトだった

2020年05月29日 11時00分

正田を高く評価していた木庭スカウト

【正田耕三「野球の構造」(20)】野球においてドラマが起こるのは、何もグラウンド内に限ったことではありません。社会人野球の新日鉄広畑(現日本製鉄広畑)時代のことです。

 都市対抗の予選や地方大会では、選手たちはスタンドで弁当を食べたりします。そのため熱心に観戦しに来てくれるファンの顔を覚えたりもするのですが、その中の一人に、どこの球場でも見かける物静かなおっちゃんがいました。

「よく来ていますよね」「ええ」「野球、お好きなんですね」「ええ。どうですか調子は?」「ぼちぼちですね」

 謎のおっちゃんとは、顔を合わせると、そんな会話をしていました。こちらから立ち入った話はしないし、おっちゃんも踏み込んだことは聞いてこない。その60歳手前ぐらいの謎のおっちゃんと再会するのは、ロサンゼルス五輪が行われた1984年の11月。そう、その人こそ「スカウトの神様」とまで言われた、広島の木庭教スカウトだったのです。

 ここでプロ入りの経緯についても触れておきましょう。ロサンゼルス五輪で金メダルを獲得した僕ら全日本メンバーは20人中16人がプロに進みました。84年のドラフトだけでもヤクルトに入団した明大の広沢克己、法大の秦真司をはじめ、社会人から巨人に宮本和知、阪神には嶋田宗彦と計9選手がプロ入りしたのですが、広島から2位指名を受けた僕はお断りするつもりでいました。

 広島以外にも巨人など複数球団が興味を持ってくれていたようです。それでも会社からは「残ってほしい」と言われていたし、もともと僕はプロ野球選手になりたかったわけではありません。社会人時代の個人的な目標は、ベストナインに選ばれること。当時の二塁はアクロバティックな守備をする東芝の宮崎剛さんが常連で、何とか自分が…との思いだけでした。

 ドラフト当日の11月20日もそう。自分には関係のないことだと思っていたので何も考えずに外出していました。スマートフォンもない時代で、広島に2位指名されたことを知ったのは会社に帰ってから。「さっさとスーツを着て会議室に来い」と言われ、慌てて記者会見に臨んだほどです。

 プロ入りは会社だけでなく、僕をそば店の後継ぎにしたがっていた父の弘も「プロなんて聞いてないぞ」と猛反対。それでも広島への入団に傾いたのは担当の木庭スカウトに、こう聞かされたからです。

「アイルランドをクビにしたから二塁は空いている」

 アイルランドとは83年から広島に2シーズン在籍した二塁手。84年には4年ぶりのリーグ制覇にも貢献した助っ人がいないなら「俺にもチャンスはあるかな」。そう思ったのと、念願だったベストナインに選ばれたこともありプロ入りを決断しました。というわけで、次回からはプロ野球編です。


 しょうだ・こうぞう 1962年1月2日生まれ。和歌山県和歌山市出身。市立和歌山商業(現市立和歌山)から社会人の新日鉄広畑(現日本製鉄広畑)に進み、84年ロサンゼルス五輪で金メダル獲得。同年のドラフト2位で広島入団。85年秋から両打ちに転向する。86年に二塁のレギュラーに定着し、リーグVに貢献。87、88年に2年連続で首位打者、89年は盗塁王に輝く。87年から5年連続でゴールデン・グラブ賞を受賞。98年に引退後は広島、近鉄、阪神、オリックスほか韓国プロ野球でもコーチを務めた。現役時代の通算成績は1565試合で1546安打、146盗塁、打率2割8分7厘。

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