96年球界席巻 FA宣言・清原の巨人入りを巡る落合解雇騒動

2020年04月21日 11時01分

96年11月15日、東京都内の自宅前で信子夫人(右)に見守られながら取材に応じる落合(左)

【球界平成裏面史(9) 落合・清原移籍騒動の巻(1)】 平成8年(1996年)の球界は、落合と清原の巨人をめぐる移籍騒動に席巻された。清原が西武に提示された3年契約を断ってFA宣言し、獲得に動いた巨人が落合解雇を決定。これに落合が猛反発して、事態は紛糾に紛糾を重ねたのだった。

 清原と巨人の間には、昭和60年(85年)秋の“運命のドラフト”の因縁があった。巨人の1位指名は清原で確実と思われた中、当日に突然PL学園のチームメート桑田を指名。涙をにじませた清原は西武に行かざるを得なかった。

 それから11年後の平成8年11月12日、清原のFA交渉が解禁になると、翌13日に巨人の球団幹部が電話。西武・東尾監督は「キヨは初恋の相手が忘れられないんだな」と巨人入りを示唆した。

 巨人の4番だった落合は以前から「清原も巨人に来ればいい。アイツならサードを守れる」と発言。清原の定位置は一塁だったが、同じ一塁を守る落合はポジションを譲る気などなかった。

 しかし、巨人は清原を獲得できたら落合を切るつもりだった。現に初交渉に臨んだ球団幹部は清原に、「一塁は空けておくよ。落合は解雇する方針だ」と伝えている。

 しかし、清原は首を縦に振らず、逆に不快感を示したという。原因はドラフトで裏切ったことについて謝罪がなかったこと。また、条件が2年契約・年俸3億円(旧年俸2億4000万円=推定)と最大級の評価ではなかったことである。さらに翌日のスポーツ紙は一斉に「落合解雇」と報道。これでは自分が悪役にされる、と不安に思っても無理はない。

 そんな清原の心の隙を突くかのように、阪神が猛アタックを開始。吉田監督が巨人よりも1日早く、交渉解禁当日の朝に清原の自宅へ電話していた。11月15日の入団交渉にも出馬し、「ユニホームの縦ジマを横ジマに変えてでもという気持ちや」と熱弁をふるった。

 清原は交渉後の会見で「すごい熱意で汗が出てきました」と語った。実際、額には玉のような汗粒が浮いていた。清原がのちに自著で明かしたところによると、阪神の条件は10年契約で年俸は巨人の5倍、引退後は監督就任もある、と超破格。汗が噴き出すわけだ。

 この事態に、深谷球団代表は慌てて落合解雇を否定。「来年は白紙とは言ったが解雇とは言ってない」と言い繕った。

 だが、落合は怒り心頭。「清原は(期限の)12月31日まで返事しなくていいんだろう。(自分の処遇は)清原待ちだな。失礼な話だ。オレが要らないなら、10月でクビを切ればよかったんだ」

 深谷代表の残留発表についても、「飼い殺しはごめんだ」とピシャリ。記者たちを連れて静岡・川根町の温泉へ行くと、巨人・清原の交渉と同時進行で様々な爆弾発言を繰り返すことになる。(赤坂英一)

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