スカウトたちのそれぞれの流儀

2019年11月09日 16時30分

広島の苑田聡彦スカウト統括部長

【越智正典 ネット裏】スカウト自由競争時代、福島県磐城高、常磐炭鉱、清峰伸銅の左腕投手小野正一を獲るために毎日オリオンズのスカウトが実家を訪ねると、小野は不在。「ご挨拶に伺いました」。父親は差し出された名刺を見ると「ああ、毎日新聞ならもう取ってるよ。ご苦労さん!」。新聞は月ぎめ333円の時代である。1955年のことである。プロ野球のスカウトの存在はまだ広く知られていなかった。

 明治大、大洋のマネジャー、61年に巨人のスカウトで迎えられた沢田幸夫は、法政二高の第42回夏の甲子園大会優勝投手、あの“赤い手袋”の柴田勲らを獲るのだが、仲間からは“漬物の沢ちゃん”と呼ばれていた。当時、スカウトたちは夏の甲子園大会が終わってから動き出していたが、目指す選手の家で町一番の仕出し屋からご馳走を取って接待されると「まだ、ダメだあー」。反省しきりだった。が、ホカホカごはんに味噌汁と漬物でもてなされると大よろこび。「きっと獲れる。家族同様にしてもらった」

 中央大の先輩、中日ドラゴンズの球団代表高田一夫に呼ばれてドラゴンズの九州駐在スカウトになった池田義定は夏の大会が終わっても動かなかった。あるとき、私は偶然、博多の岩田屋デパートの文房具売り場で池田が大入り袋を買い込んでいるのを見た。そうだったのかあー。

 彼はナイターが終わった翌朝にはもう「球団からいま届きました。おかげさまで勝てました。大入りでした」と大入り袋を関係者に配っていた。池田の家に行った。机の上には中日ドラゴンズの印、日付印。壁に竹筒。竹筒に10円玉を貯めていた。関係者は感激。エンギ物である。中には10円。ときには“ご縁がありますように”と5円玉。貰い易い。

 池田は高田が退任すると退団。米、味噌、醤油、それに日用品の販売会社と野球部をつくった。配達するのは選手。団地の最上階まで全力疾走で持って来てくれるので、評判になった。空ビンも回収してくれる。こうして76年ドラフト外でマコちゃんこと、島田誠も巣立って行った。日本ハム、ダイエー、マコちゃんは6回もゴールデン・グラブ賞を受賞している。

 私はそれからもスカウトの指名選手への対応を見るのを楽しみにしている。そのチームのこれからがわかると思えるからだ。

 99年、広島が1位で国学院久我山高の186センチの左腕河内貴哉(広島球団部課長、兼企画グループ広報室課長)を獲得すると苑田聡彦(現スカウト統括部長)が、河内のおかあさんに会わせてくださいと校長に願い出た。事務課が応接間でどうぞというと「ありがとうございます。けど恐れ多すぎます。体育館のスミのほうを貸して下さい」。凄い。謙虚な男である。

 苑田はおかあさんに「カープの栄養士のお願いです。家にあるもので、なんでもいいですから具が沢山入った味噌汁を作って下さい」。苑田が中心となって広島が見事なチーム編成を続けて来たのはご存じの通りである。カープはまた新しい時代を興すだろう。
 =敬称略=