【松下茂典・大谷と松井、太平洋に虹を架けた二人(連載4)】エンゼルスの大谷翔平投手(27)は1日(日本時間2日)に本拠地アナハイムでのアスレチックス戦に「2番・DH」で出場し、メジャー移籍後初の2併殺を含む4打数無安打と不発に終わった。試合終了時点で37本塁打はメジャートップを独走し、82打点はトップと1差。今季の打球速度の最速119マイル(約192キロ)はメジャー2番目で、本塁打の飛距離470フィート(約143・3メートル)は同5番目と全米を驚かせている。少年時代は“鉛筆”だった大谷が超人に進化したのは超睡眠効果だった。

 現在の大谷からは想像できないことだが、母の加代子によると、幼稚園、小学校、中学校を通し「翔平は鉛筆のように細い子」だったという。

「なぜか食が極端に細かった。毎食のご飯は、お茶わん一杯。肉は好きでしたが、トマトは嫌い。おかずもあまり食べませんでした」

 そのため、幼稚園から中学校に至るまで、身長と体重を測ると、必ず「痩せすぎ」と書かれた。

「幼稚園のときなんか、夕方私がご飯の支度をしていると、ソファですやすや。普通の子なら『ご飯、できたわよ』と声を掛けると、飛び起きるんでしょうが、つねっても叩いても起きない。仕方なく寝室に運ぶと、今度は朝まで寝ちゃうんです」

 睡眠時間は、時計が一回りというから、毎日12時間も寝た計算になる。

 ご飯もおやつも食べない翔平だったが、牛乳だけはよく飲んだという。

「1リットル入りの牛乳パックに直接口を付け、そのまま飲んでいましたね」

 アスリートには世代を問わず牛乳好きが少なくない。松井秀喜も、牛乳の1リットルパックを毎日何本も空にしていた。

 筆者が思い出すのは、巨人に1位指名され、長嶋茂雄監督にクジを引き当てられるドラフト会議の10日前のことだ。取材で松井家を訪ねると、秀喜は牛乳を飲みながら、ズワイガニやカツオの刺し身をむしゃむしゃ食べていた。彼の骨太な体は、牛乳と刺し身で出来上がったのである。

 翔平が食に前向きになるのは、小学校2年生のとき、リトルリーグ「水沢バンディッツ」に入り、体を動かすようになってからだが、中学生になっても眠り癖は変わらなかったという。

「夜はゲームや何かで遊びたい年ごろだと思うんですが、夜の9時台には『あー、もう寝なきゃ、寝なきゃ』といい、お父さんと2階に行き、朝の6時までぐっすり眠る。そんな毎日が中学校卒業までつづきました」(加代子)

 花巻東高校に進学すると、新たな試練に見舞われる。慣れない寮生活のため、睡眠不足に陥り、毎月のように熱を出し、病院に直行。点滴を余儀なくされた。

「体力不足を指摘され、佐々木洋監督から毎日どんぶり十杯(夜七杯、朝三杯)のご飯を食べるようにいわれ、食べては吐き、吐いては食べるという繰り返しだったようです」

 加代子は心配のあまり寮に足を運んだ。

「翔平の机の引き出しをこっそり開けると、カビの生えた幕の内弁当が入っていました。ああ、これも食べろといわれたんだろうなあと思い、涙が出そうになり、黙って持って帰ってきちゃいました…」(文中敬称略)


 ☆まつした・しげのり ノンフィクションライター。1954年、石川県金沢市生まれ。明治大学卒。「広く」「長く」「深く」をモットーに、アスリートのみならず家族や恩師等に取材し、立体的なドラマ構築をめざす。主な著書に「新説・ON物語」「松井秀喜・試練を力に変えて」「神様が創った試合」。近著に1964年の東京オリンピックをテーマにした「円谷幸吉・命の手紙」「サムライたちの挽歌」がある。