センバツ中止で傷心の球児に開星高校“腹切り”野々村監督「悔しさを夏にぶつけろ」

2020年03月13日 16時30分

野々村監督が無念の球児たちにズバリ!

 新型コロナウイルスの感染拡大で「第92回選抜高校野球大会」が開催中止となった。日本高野連は「幻の代表」となった32校に対し“救済措置”を検討しているが、開星(島根)の「腹切り監督」こと野々村直通監督(68)が本紙の直撃に激白。「救済措置は必要ない」と言い切った。選手の無念さを軽減させようと高野連が頭をひねり、国民の同情も集まっているが、その真意は…。

 3月に8年ぶりに開星野球部の指揮官に復帰した野々村監督が、高野連に“待った”をかけた。選抜大会中止の決定で高野連は出場32校に「何らかの形で甲子園の土を踏ませてあげたい。要望を聞いて考えていきたい」などと今後の救済措置を検討することを明かしている。

 甲子園に招待して練習、見学、さらに夏のシード権などの優遇措置も考えられるが、野々村監督は「そんなことは必要ない。もう一度、日程を作って大会を新たにやるというなら別だけど、ただ甲子園に呼んで入場行進や練習をさせるとか、足を踏み入れるだけではお遊戯教育ですよ。かえって傷口を広げるようなもの。一般論ではやさしい教育になるかもしれないが、代わりに遊園地に連れて行ってあげると言っているようなもんだ」とバッサリ。思い出作りの“見学ツアー”なら不要というわけだ。

 夏大会に絡む優遇措置についても「悔しさをプラスアルファにして夏にぶつけろと言いたい。途中から出たりすれば平等性がなくなる。もう一度、一からだ」と訴えた。地方大会をシードされて出場しても選手のためにならず、苦難を乗り越えてリスタートしてこそ価値があると見ている。

 出場校の無念さは痛いほどわかっている。島根も21世紀枠の平田が涙をのんでおり「個人的にはやらせてあげたかったし、気の毒で言葉もない。1951年に創部して島根では初めて平田市(現出雲市)からの出場だった。念願だったし、町を挙げて応援していた。部員も少ないし、諦め切れない思いがあるでしょう」と心情をおもんぱかる。

 それだけに「このセンバツは(プレーしたという)記録には残らない(※)けど、記憶に残る甲子園としていい方に捉え、選手はこの悔しさを強く生きることの糧にしないといけない。人生は何が起きるかわからない。俺たちは特別な試練を受けた、経験できない屈辱を味わったんだから、長い人生に生かそうと。甲子園には出られなかったけど、自分たちは人生を勝ち取るんだ、と気持ちを持ってもらいたい」と続けた。

※高野連は今大会への出場が決まっていた32校について、甲子園大会の出場回数にカウントすると明言しており、出場回数としての記録は残る。

 傷心の球児たちにあえて厳しい言葉を並べた野々村監督。教育者として選手の成長を願っているからこその直言だった。

☆ののむら・なおみち 1951年12月14日、島根県出身。広島大学教育学部美術科卒業後、74年に広島・府中東高校に美術教師として赴任。野球部監督に就任し、79年にセンバツ出場。88年に松江第一(現開星)野球部監督に就任し、93年夏に初出場。春2回、夏7回、甲子園へと導いた。2010年センバツでの「末代までの恥」発言で監督を辞任したが、8000人の監督復帰嘆願の署名が集まり、翌11年から監督復帰。同年夏の甲子園で復活勝利を挙げた。定年退職のため12年に監督を退任。画家、教育評論家として活動し、今年3月に監督に復帰した。