高校球児が駅伝の世界へ 中央学院大・武川流以名が1年で箱根6区快記録

2020年01月25日 11時00分

高校球児だった武川

【気になるあの人を追跡調査!野球探偵の備忘録(99)】大学駅伝界に異色の経歴のニューホープが誕生した。2020年の年明けを彩った箱根駅伝。6区の1年生記録を樹立した中央学院大・武川流以名(19)は元高校球児で、駅伝歴わずか1年で100年の伝統を誇る箱根駅伝の歴史に名を刻んだ。周囲の反対を押し切ってスパイクをランニングシューズへと履き替えた長距離界の新星の素顔に迫った。

「あっという間でしたね、20キロは。沿道の声援はずっと耳に残ってる。中学時代のチームメートも応援に来てくれて、自分は野球があったから今ここにいるんだなと感じました」

 3兄弟の末っ子に生まれた武川が野球を始めたのは小学校1年のとき。5つ上と2つ上の兄と同じチームでボールを追った武川だが、4年生のときにはすでに2人の兄をしのぐ走力を誇っていたという。中学時代は補欠も、所属ボーイズはドラゴンズカップで現中日・根尾のいた飛騨中央ボーイズを準決勝で破り優勝。一方で助っ人部員として出場した駅伝では地区大会で区間賞を記録した。地元の陸上強豪校からも声がかかっていたが、野球を続けたかった武川は静岡の私立校で野球一筋の道を選んだ。

「最初は甲子園を目指していたんですが、チームのレベルと雰囲気でそれが難しいことはすぐわかった。先輩や監督とも合わなくて。全力でやりたいのにやれない、不完全燃焼な感じでした」

 転機が訪れたのは高2の冬。例年1月2日は中学時代の所属ボーイズはグラウンド開きで、引退後もOBとしてグラウンドに顔を出すのが慣例となっていた。毎年テレビで箱根駅伝の1区を見終わるころが、ちょうど家を出る目安。だが、その日は当時1年生で1区区間賞を叩き出した東洋大・西山和弥の走りに目を奪われた。

「今自分が大学で駅伝をやれているのって、いろんな偶然が重なってのことなんです。グ
ラウンド開きの日じゃなかったら箱根を見てなかったかもしれないし、西山さんが1区じゃなかったら見れてなかった。実績がなかったので他の強豪校からは入部できないと言われたけど、中央学院大には1年の12月までに設定タイムを切れば正式に入部できる仮入部制度があって、たまたま高校の指定校推薦に中央学院大の枠があったんです」

 高校野球引退と同時に地元のアスリート養成クラブに入会。そこでできた知り合いを通じて、中央学院大の指導者に連絡を取り、仮入部制度を利用しての入部を決めた。周囲からは「箱根なんて無理に決まってる」「何を夢見たこと言ってるんだ」と笑われるなか、1年春のシーズン中に早々と正部員に昇格。本格的に駅伝を始めてわずか1年あまりで、あこがれの箱根の舞台に立った。

 1920年(大正9年)に始まった箱根駅伝で競技歴1年の1年生ランナーが走るのは異例中の異例。それも特殊区間といわれる山下りの6区を58分25秒で駆け下り、いきなり1年生記録を打ち立てた。これは箱根史に残る“快挙”と言っていいが、当の本人は意外なほど冷静だ。

「技術的な共通点はあまりないと思うけど、高校野球では人間関係でメンタルを鍛えられました(笑い)。その経験は駅伝にも生きてるかな。もし高校から駅伝を始めていたらメンバーに選ばれたかもわからないし、都大路で燃え尽きていたかもしれない。高校野球をやってたからこそ注目してもらえるし、今ここでやれているんだと思ってます」
 甲子園から箱根へ。目指す場所は変われど、その歩みは止まらない。

 ☆ぶかわ・るいな 2000年5月30日生まれ、愛知県新城市出身。小学校1年のとき鳳来中央少年野球クラブで野球を始める。小5から豊川ドラゴンズ、中学では新城ボーイズに所属。島田樟誠では主将を務め、3年夏は県大会2回戦敗退。野球部引退後、アスリート養成クラブ「TTランナーズ」で長距離走の練習を開始。中央学院大では1年から箱根駅伝メンバー入りを果たし、6区の1年生記録となる58分25秒を記録する。トラック10000メートル29分24秒13、5000メートル14分40秒35、ハーフマラソン1時間7分7秒。176センチ、59キロ。右投げ左打ち。