【多事蹴論108】なぜ自国開催のW杯に臨む日本代表監督にフィリップ・トルシエ氏が選出されたのか――。1998年6月、フランスW杯に初出場を果たした日本代表は岡田武史監督の下で1次リーグに臨み、アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカと激突するも3戦全敗。初の大舞台で勝ち点を得ることはできなかった。4年後に自国開催となる2002年日韓W杯に向けて早急に新体制をスタートさせる必要があった。
日本サッカー協会は“岡ちゃんフィーバー”もあって岡田監督に続投を要請するも「W杯で勝てなかった責任を取る」として固辞。そこで本命としていた元名古屋指揮官でイングランド・プレミアリーグの名門アーセナルを指揮するフランス人のアーセン・ベンゲル監督に白羽の矢を立てた。欧州ビッグクラブを率いている名将は将来的に日本代表を指揮すると示唆した上で、フランスW杯で南アフリカ代表を率いたフランス人のトルシエ氏を推薦した。
トルシエ氏はU―15フランス代表監督を務めた経験があり、若手育成に定評があった。日本はフランスW杯にも出場したMF小野伸二やMF稲本潤一、MF遠藤保仁、FW高原直泰ら後に「ゴールデンエージ」と呼ばれる世代が台頭し始めており、協会側は「02年まで4年間の使い方が重要だ。最初の2年でこの力を伸ばし、残り2年で戦術をきわめる」との方針で、ベンゲル監督にバトンをつなぐためにもトルシエ氏は適任だったという。
日本サッカー協会の川淵三郎副会長(Jリーグチェアマン)は「意外にも続投を依頼した岡田は『W杯で勝てなかった責任は取るべき』と固辞した。後任は大仁委員長に一任されて(人選を)慎重に進めていた。ボクはそのあたりの詳しい経緯を知らないが、第1候補のベンゲルに『オレなら2年あれば大丈夫だと…』と断られ、それでフランス協会から推薦された監督リストの中にトルシエの名前があった。ベンゲルにも相談して、決まった」と振り返った。
“白い魔術師”との異名を取るトルシエ氏は若手育成のため、U―20代表とシドニー五輪を目指す代表、そしてA代表と3チームの監督を兼任した。99年世界ユース選手権(ナイジェリア、現U―20W杯)では小野や稲本を中心に国際サッカー連盟(FIFA)主催の大会で初めてのファイナルに進出。決勝ではスペインに敗れたものの準優勝という“快挙”を成し遂げた。
02年W杯に向けて日本国内のサッカー熱が高まっていく大きなキッカケになった。00年シドニー五輪でもアジア予選を突破、本大会1次リーグも勝ち上がり、準々決勝で米国にPK戦の末に敗れたものの、ベスト8入りを果たした。その一方で、肝心のA代表は結果が出せず、苦戦続き。しかも協会やJリーグ批判を繰り返すなどの暴走が目立つようになり、00年に入ると、解任論が浮上するようになった。(肩書は当時)













