【多事蹴論105】現役引退した“孤高のドリブラー”はなぜビーチサッカー(BS)W杯に出場することになったのか――。日本を1996年アトランタ五輪出場に導いた天才ドリブラーの前園真聖は横浜FやV川崎(東京V)で活躍し、ブラジル1部サントスなど海外クラブでもプレー。「逸材」と言われながらも日本代表に長く定着することはできなかったが、多くのファンの記憶に残る名選手だった。

ビーチサッカー日本代表候補合宿で必死のプレーをする前園(09年)
ビーチサッカー日本代表候補合宿で必死のプレーをする前園(09年)

 そんな前園は2005年5月、まだ31歳ながら現役引退を決意した。同年にOFKベオグラード(セルビア)の練習に参加したものの、本契約には至らず「結果が出なければけじめをつけようと思っていた」という。そこで帰国後、日本サッカー協会の川淵三郎キャプテン(会長)に引退を報告したが、そこにはBS日本代表の指揮官としてW杯4強入りを果たしたラモス瑠偉が報告に来ており、偶然にも顔を合わせることになった。

 前園は97年に横浜Fから移籍したV川崎で、同年夏に京都から復帰したラモスに公私両面でサポートを受けていた。ラモス監督は前園が引退することを聞くと「引退するって? お前、何言ってんの? 冗談じゃないよ。まだ続けるんだよ。いくつなの? 31歳? バカじゃないの! まだまだできるって。辞めるなって。オレが辞めさせないよ」とまくし立てた。

 前園は大先輩の言葉に「もう決めたことなので」と苦笑いするしかなかったが、4年後の09年に再びBS日本代表指揮官に就任したラモス監督は、同年8月の候補合宿に前園と元日本代表FW武田修宏をスポット参戦させる。当初は現役選手らに元トップ選手の取り組みを知ってもらうための“招集”だった。だが、練習ですぐにへばってしまった武田と違って最後まで懸命に走る前園の姿勢とBSの適性を感じ取った。指揮官は「武田はダメだったけど、ゾノは根性があるよ。ビーチサッカーに向いている」と話し、後に正式な日本代表選手として招集することになった。

 図らずも現役復帰を果たした前園は、強化合宿を経て同年11月のBSW杯(UAE)に臨む日本代表メンバーにも選出された。ラモスジャパンは強豪スペインを抑えて1次リーグを首位突破。前園も7―2と大勝したエルサルバドル戦では“W杯初ゴール”を含めて2得点を決める活躍を見せた。残念ながら準々決勝でポルトガルに1―2で敗れたものの、世界ベスト8入りに貢献した。

 前園氏は「本当に貴重な経験をさせてもらいましたね。11人制とは勝手が違うので、大変なこともありました」とし「A代表とは舞台は違うけど、W杯に出場できましたし、ラモスさんには感謝しかない」とコメント。ブラジルから日本に帰化した司令塔との深い縁が悲願の世界大会出場につながった。  (敬称略)