【多事蹴論(48)】天才ドリブラーのセビリア移籍が破談した“真相”とは――。日本が28年ぶりに出場を果たした1996年アトランタ五輪サッカー男子1次リーグ初戦でブラジルを1―0で撃破し「マイアミの奇跡」と呼ばれたチームでキャプテンを務め、大スターになったMF前園真聖は大会後、イングランドやスペインなど欧州各クラブから興味を持たれていた。

 Jリーグから海外進出を果たしたのは94年にV川崎(現東京V)からイタリア1部ジェノアにレンタル移籍したカズことFW三浦知良(現JFL鈴鹿)しかいなかった。そんな中でスペイン1部セビリアが華麗なドリブルで世界を魅了した前園に注目し、所属する横浜F(現横浜M)にオファーを出した。Jリーガーとして「史上2人目の欧州進出なるか」と大きな注目を集めた。

 前園は「アトランタ五輪でブラジルには勝ちましたけど(2勝1敗ながらも)1次リーグを突破できず、悔しい思いをしていました。それもあって次は海外リーグで自分を試したい、挑戦しなければ…という意欲が高まっていました。フリューゲルスから正式オファーが届いたと聞いて、いよいよ海外に行けるんだって思っていましたね」と振り返っていた。

 96年末、セビリアの幹部が来日。まずはクラブ間交渉を開始することになったが、横浜FはJリーグ規定(当時)から算出した移籍金4億円を要求した。世界では移籍金の設定額はあくまで目安。交渉で両クラブの妥協点を見いだしていくのが通例な中、横浜Fは「4億円」以下では放出を認めない方針で交渉は難航。何回か話し合いを行ったとみられるも金額を下げることなく決裂した。

 横浜Fに限ったことではないが、まだプロサッカーができたばかりでJクラブは海外クラブと交渉するノウハウや経験に乏しかった。さらに初の本格的な移籍交渉として注目されたことで「足元を見られたくない」「失敗できない」という意向が強く、柔軟な対応ができなかったことも要因とみられる。いずれにしても未熟だった。

 前園は「ショックでした。移籍金は4億とも言われていましたが、金額が安いのか、高いのかもわからない。何で破談になったのか。その経緯とか真相は知らない」と嘆いた。その上で「海外に行けると思っていたのでフロントに対して失望を感じましたね。このまま横浜Fにいたら海外には移籍できないって考えるようになりました」と語っていた。

 結局、前園は96年末に横浜F退団を決意。97年1月にカズやラモス瑠偉が所属するV川崎が「海外移籍を認める」との条件でオファー。横浜Fに移籍金3億3000万円を支払って加入することになった。 (敬称略)