【プロレス蔵出し写真館】前田日明が自身のユーチューブチャンネルで、1月18日未明、激しい腹痛により緊急搬送され手術を受けたことを明かした。

 胆石からくる胆のう炎から腹膜炎を起こし、胆石を除去したという。前田は「60を過ぎると次から次と出てくる。若いつもりで我慢したりせずに速攻、医者に行ってバッサリやった方がいいですね」と語った。

 現在、67歳の前田の言葉は同世代にとって人ごとではない。十分に留意したいものだ。

 ところで、前田が現役を引退してから27年がたった。リングスでの引退試合はちょうどいま時分だった。

 1999年(平成11年)2月21日、横浜アリーナに超満員札止め1万7048人の観衆を集め、5分2Rで行われた。相手は〝霊長類最強の男〟の異名を取ったアレキサンダー・カレリンだ。

 カレリンはレスリング、グレコローマン130キロ級で88年ソウル、92年バルセロナ、96年アトランタとオリンピック3大会で連続金メダルを獲得。世界選手権9連覇、欧州選手権10連覇、12年間無敗を誇り前田との対決は世間の注目を集めた。翌2000年9月のシドニー五輪での4連覇も期待されていた。

 前田が27年前のカレリン戦を振り返った。

「(ウラジミール)パコージンを通じて『引退試合でやりたいから何とかならないか』と交渉した」(※パコージンは旧ソ連の国家スポーツ省・事務次官。ペレストロイカでスポーツ省がなくなったタイミングで前田と出会い、リングス・ロシア支部長を務めた)

「なんとかカレリンに『やってもいいよ』ってOKしてもらったけど、周りが『ロシア人が初めてオリンピックで4連覇しようとしてるのに、その前にケガしたらどうするんだ』とか、なんだかんだ言ってきた。パコージンが『ペレストロイカでスポーツマスター制度が廃止になって、食えなくなったロシアのスポーツマンをどれだけ前田が助けたか分かってるか』っていう話をしてくれて実現した」

「(カレリンは打撃を受け入れた?)リングスで今までやってきたオレのビデオを見てたようだし、その当時、モスクワ放送でリングスの試合をやってた。ルールで紛糾したという記憶はない」

 第1Rのゴングが鳴り響いた。前田はローキック2連発。されにもう1発。ハイキックはかわされた。前田はタックルを仕掛けるも、上から押さえられ左右にブン回された。

「両足タックル行ったら足取れたんで〝なんだグレコローマンの選手だからやっぱりタックルディフェンスは駄目なのか〟と思って倒しにいったらまったく動かない。アレ、アレと思ってたら、利き腕と頭をからめ捕られて両足が浮いちゃった。その瞬間、首が駄目になった。全然、首が動かなくなった」

 カレリンがフロントネックロックで捕らえて、反り投げ。もつれるタイミングで前田が右足を取り、逆片エビを狙うも決まらない。さればとアンクルホールドに切り替えた。カレリンはたまらずロープエスケープ。前田がロストポイント1を奪った。

カレリン(左)にアンクルホールドを決める前田(1999年2月、横浜アリーナ)
カレリン(左)にアンクルホールドを決める前田(1999年2月、横浜アリーナ)

「最初からアンクルを狙ってた。技の流れで一番最後にアンクルに行った」

 前田は強烈なロー。カレリンは強引に投げて、上四方固め。立ち上がってカレリンは強烈な首投げ。そして、四つん這いの前田を、なんと「カレリンズ・リフト」で逆さ吊りにしてマットに叩きつけた。館内がどよめく。カレリンが肩固めを狙ったところで、第1R終了のゴングが鳴った。

 第2Rが開始されると、前田はローからヒザ蹴り。バックを取ってスリーパーホールド。カレリンは前に投げ捨て、全体重を乗せてケサ固め。前田はたまらずエスケープした。

 前田はローからカーフキック気味に蹴る(写真)。グラウンドになり、カレリンはあおむけの前田の首を前方へ引きつける。さらに左腕を強引にひねり上げた。前田はなんとかしのいだ。首投げから再度、ケサ固めを決められ、前田が2度目のロープエスケープ。ロストポイント2となり、逆転された。

 その後、カレリンが足を取ってスープレックスから2度目のカレリンズ・リフト。フルネルソンから強烈なネックロックで極めにかかる。前田は必死に耐えて、その体勢のまま試合終了のゴングが鳴った。時間切れポイント判定で前田が敗れた。

「(後半の蹴りはカーフだった?)蹴ってましたよ。足が頑丈で、少々ローで蹴っても何ともない奴が、カーフを蹴ったら一発で効くっていうのは知ってた。ローは1発や2発じゃ効かないと思ったから、カーフとかも交ぜた」(※当時はカーフキックというネーミングはなかった)

「アンドレ(ザ・ジャイアント)にやったみたいに、真正面から足刀気味に関節を蹴れば効くけど、それをやった場合にカレリンがケガをする可能性が強かったから…仁義として、やっちゃいけないんかなと思ってやんなかった。だからカーフにした。カレリンにケガさせて、パコージンの顔を潰すこはできないからね」

 さて、カレリンは翌年9月27日、シドニー五輪決勝でルーロン・ガードナー(後にPRIDEで吉田秀彦と対戦)に敗れ、4連覇は成らなかった。

「カレリンは組んだ瞬間、フッと柔らかいけど、動かそうと思ったら岩のように動かない。岩とやってる感じ(笑い)。オレの首を壊しにきてるのか、首狙いでずっとやってきた。もう首、首、首ってきたよね。あの攻め方はMMAの選手も参考になると思う」

前田(右)のタックルにびくともしないカレリン(1999年2月、横浜アリーナ)
前田(右)のタックルにびくともしないカレリン(1999年2月、横浜アリーナ)

「(カレリンは関節技を見せなかったが?)まったく知らないわけない。自分のレスリングに自信があったんだね」

 五輪常連の〝猛者〟カレリンからポイントを奪った前田。引退試合は、今でも決して色あせることのない激闘だった(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る