託され続ける責任、その重みと覚悟――。アビスパ福岡のDF奈良竜樹(32)は4年連続でキャプテンを任され、今季も最終ラインに立つ。一昨年6月に左膝の複合靱帯再建術を受け、復帰して開幕を迎えた。金明輝前監督の退任を経て塚原真也監督が指揮を執る新体制でも、背負う役割は変わらない。主将は何を背負い、どこを見据えるのか。
――サッカーを始めた原点は
奈良 小学校2年生の時に、近所の同級生のお兄さんに誘われ、実家近くの河川敷で活動していた少年団に入ったのがきっかけ。北海道の田舎で育ち、特別な環境ではなかったけど、サッカーも勉強もきちんとやりなさいという家庭。目の前のことを一生懸命やるのはその頃から当たり前だった。
――当時の自分を振り返って
奈良 自分がうまいとか、プロになれるとか、そういう感覚は全くなかった。常に目の前のことに全力。今やるべきことをやる、その積み重ねだったと思う。
――プロという世界を現実として意識した瞬間は
奈良 高校3年の時、札幌のユースからトップの練習に参加したこと。寮で若いプロと生活し、自然と芽生えた。
――4年連続主将として今季を迎えた
奈良 毎年責任は感じているが、続けて任されるのは期待の表れ。任命する側の覚悟に応えないといけない。安藤智哉が独1部ザンクトパウリへ移籍し、松岡大起も海外挑戦を選んだ。チームの軸が大きく動く中で、自分がどう立つかをより考えるようになった。最初は自分のプレーが中心だったけど、今はチーム全体がどう前向きになれるかを見る時間の方が長い。
――キャプテンを務めてきた期間を通して考え方はどう変わった
奈良 自分よりも周りを見る時間が増えた。若い選手が主体的に動ける環境をどうつくるかを考えるようになったし、苦しい時には自分が前に出る。その使い分けが大事だと思う。
――金前監督の退任、塚原監督体制への移行をどう受け止めた
奈良 驚きはあった。ただ、監督が代わったからといって自分のやるべきことが変わるわけではない。こういう状況だからこそ、より強さやたくましさが求められる。クラブとして試されている時期だと感じている。
――2024年6月の左膝複合靱帯再建術を決断した背景は
奈良 まだサッカー選手として活躍したいという思いが強かった。難しい手術だということは分かっていたし、リハビリも簡単ではなかった。痛みが出たり感覚が戻らなかったりもした。ただ、自分で選んだ決断なので、未来の自分が正しかったと言えるようにやるしかない。
――復帰後の心境に変化は
奈良 不安がなかったわけではない。でも、昨季は再発なく終えられた。今はケガなくやり続けることが一番。その上で、常にピッチに立ち続けられるコンディションを保ちたい。その思いは強い。
――今季の守備に求める基準は
奈良 1試合1失点以下。できれば試合数より少ない失点で終えたい。アビスパのベースは堅い守備と全員のハードワークだと思うし、そこは揺るがせたくない。失点を減らすことが勝ち点につながるので、そこへのこだわりは常に持っている。
――今のチームの手応えは
奈良 完成形がどうかは分からないけど、みんな精力的に、指導部とチーム全員で進んでいる感覚がある。若い選手が多くて勢いもある。走れるし、トライもできる。その勢いをどう組織としてまとめていくかが鍵になると思う。
――オフの過ごし方は
奈良 基本は家で過ごすことが多い。家の近くを散歩したり、子供とカードゲームをしたりして(笑い)。
――福岡での楽しみは
奈良 家族で福岡市内の「大河すし」によく行きます。回転ずしだけど、ネタも大きいし、子供にも優しい雰囲気です。納豆巻きやコーンを子供が喜んで食べている。水炊きも好きで、家でやることもありますね。
――最近ハマっていることは
奈良 ジビエ料理です。知り合いの猟師さんから送ってもらうこともあって、家でイノシシなどを食べる。特別なことではないけど、そういう時間が気分転換になっている。
――今季の目標を改めて
奈良 チームとしては6位以上。個人としてはケガなく戦い続けること。その上で、主将としてチームが前向きなベクトルを持てるように支えていきたい。
――サポーターへ向けて
奈良 支えてくださる方々の思いに応えられるように、ピッチで姿勢を見せたい。全員でハードワークして戦います。
☆なら・たつき 1993年9月19日生まれ。北海道北見市出身。DF。右利き。背番号3。180センチ、74キロ。コンサドーレ札幌U―18から2012年にトップ昇格。その後、FC東京への期限付き移籍を経て、川崎フロンターレ、鹿島アントラーズへ完全移籍。21年にアビスパ福岡へ期限付き移籍し、22年から完全移籍。空中戦と対人守備の強さを武器に最終ラインを統率する。昨季はJ1リーグ16試合に出場。今季で4年連続主将を務める。












