【平成球界裏面史 近鉄編135】平成13年(2001年)9月24日の大阪ドームでは西武とのシーズン最終戦が行われていた。首位・近鉄を2・5ゲーム差で追う西武は、松坂大輔を先発マウンドに送り込み必勝態勢。松坂が続投のまま2点ビハインドで9回の近鉄の攻撃が始まろうとしていた。

 梨田監督は先頭の的山哲也に代打・北川博敏をコール。阪神からトレード移籍1年目だった北川は期待に応え、左翼席に1点差に迫る5号ソロを打ち込んだ。

 北川の代打本塁打で雰囲気は変わった。9回表に門倉健一がスコット・マクレーンにソロを浴び2点差となっていた重い空気がガラッと変化した。相手が松坂とはいえ、何かが起こるのではないだろうか。そんな雰囲気の中、打順が1番に戻り大村は凡退で一死となり2番の水口栄治が四球で出塁。3番・タフィ・ローズがNPB新記録の56号本塁打で劇的サヨナラ勝利という絵が浮かぶシチュエーションが巡ってきた。

松坂大輔からNPB記録の55号を打ったタフィ・ローズ(2001年9月24日)
松坂大輔からNPB記録の55号を打ったタフィ・ローズ(2001年9月24日)

 だが、ローズは「ここで打ったら日本新記録でサヨナラやなあと思っていたら、力が入ってしまってね」とフルカウントから空振り三振で二死一塁。ここで中村紀洋が打席に入った。

 初球は138キロのカットボールが内角へ抜け気味に外れボール。2球目は140キロのカットが外角へ外れた。カウントは2ボール。ここで中村は確信を持った。

「絶対にゾーンの中の外角カットでファウルを取りにくる。あのカウントではノースリー(3ボールノーストライク)となることを避けたいからボール球を投げにくい。だからゾーンに投げてくる確率が果てしなく高い。キャッチャーがベテランの伊東(勤)さんではなく和田(一浩)さんだったことも頭に入っていた。裏の裏をかくリードをしてくる可能性は低い。最初は真っすぐ狙いやったけどね。あそこは腹をくくったね」

 中村は読み通りの3球目、144キロの外角カットボールを右中間スタンドにフルイングで放り込んだ。松坂が後にも先にもプロアマ通して人生一度きりとなるサヨナラ被弾、45号2ランで近鉄のマジックは3から1となり優勝が決定的となった。

確信を持って打った中村紀洋のサヨナラ弾(2004年9月24日)
確信を持って打った中村紀洋のサヨナラ弾(2004年9月24日)

 過去7シーズン、本塁打ゼロだった北川はここまででシーズン5本の本塁打を記録していた。しかも、勝負強さが光る効果的な一発を重ねていた。マジックを1とした近鉄は9月26日のオリックス・ブルーウェーブ戦に臨んだ。

 初回に近鉄が1点を先制するも5回までに先発・ショーン・バーグマンが失策絡みで4点を失う重い展開。それでも7回に川口憲史がソロを放ち2点差と、当時の近鉄打線の破壊力からすれば、まだまだ勝敗が分からないという空気でゲームは推移していった。

バーグマン(左)と川口憲史
バーグマン(左)と川口憲史

 この7回には先発捕手の古久保健二に代わり代打・北川という策を梨田監督は用意していた。だが、先頭打者の川口の反撃弾で北川の出番は消えていた。代打として感覚に磨きのかかっていた北川は上がったテンションを必死に下げて冷静さを保っていた。

 そして、9回表に岡本晃が相川良太にソロを浴びてしまい3点差。それでも「ん? 9月24日の西武戦と似ている」という空気があった。3点ビハインドとあっても9回裏の大阪ドームには諦めない空気が充満していた。