ノア11日の両国国技館大会では来年1月4日に引退する新日本プロレスのエースで社長の棚橋弘至と元GHCヘビー級王者・清宮海斗の越境タッグが実現(対丸藤正道、拳王組)。清宮の直訴を受けた棚橋が快諾したもので、歴史的なコンビ結成となった。
新日本とノアは交流が途絶えた期間もあったが基本的に友好関係にあり、2003年1月10日武道館では故三沢光晴さんと蝶野正洋の頂上タッグが実現している。当時、新日本は苦境期にあり、前年5月2日に蝶野は東京ドームで三沢と初のシングル戦を行いドームの大観衆を沸かせた。後日、蝶野は「あれがなければ新日本は潰れていた」と述懐している。
その流れから三沢と蝶野が翌年にコンビを初結成。小橋建太、田上明組と激突した。かつて闘魂三銃士、四天王と呼ばれて1990年代の黄金期を支えたスーパースターが揃い踏みを果たした歴史的な瞬間だった。
「まさに死闘だった。先発を買って出たのは小橋と蝶野。蝶野はまず小橋の爆弾・左ヒザに非情な低空キック。ケンカキックもブチ込んだ。しかし小橋はスックと立ち上がり額を突きつける。田上は蝶野にDDT、ハイキック。リングに上がればぐうたらは返上だ。しかし10分過ぎ、三沢と蝶野は満を持していた合体技を披露。これが痛快だった。まずダブルのエルボーにダブルのケンカキック。三沢が場外の小橋にトペを放てば、蝶野も反対側の田上にトペを放った。アウンの呼吸で次々と連係殺法を公開する両雄に1万6300人は大興奮だ。15分過ぎ、蝶野はケンカキックで小橋を捕獲すると、STFに移行。三沢もすかさず田上を顔面絞めで捕らえた。言葉はいらない。目で会話する両巨頭。この鮮やかすぎるコンビネーションに死角はないと誰もが確信した。しかし小橋の怪腕が夢タッグを見事に分断した。三沢に放った合体ノド輪爆弾は蝶野にカットされたが、ラリアートで追撃。そしてラリアートで一気に三沢の息の根を止めた。三沢は大の字のまま若手に担がれて引き揚げた。ノアマットを初体感した蝶野は『このリングは熱い。あれだけの小橋、三沢コールは選手冥利に尽きる。ノアだけじゃなく日本のトップレスラーにこういう環境をつくるのが俺の仕事』と興奮気味に語った」(抜粋)
同年5月には小橋がGHCヘビー級王者として東京ドーム大会に初めて乗り込み、蝶野をハーフネルソン6連発からのラリアートで葬っている。この時代が両団体の交流の黄金期だった。交流は一度、途絶えるが09年6月に三沢が試合中の事故で亡くなると、逆に新日本がノアのピンチに助け舟を出している。お互いに苦難の時期を経験しているだけに、両団体の根底には深い信頼関係があることは間違いないだろう。 (敬称略)












