サッカー界の〝黒船〟レッドブルの野望とは――。オーストリアの大手飲料メーカー「レッドブル」が、J2大宮を昨年10月に買収(当時J3)してJリーグの外資参入第1号となった。生まれ変わった大宮は、ドイツ1部ライプチヒなどを擁する強豪グループの一員に。今後〝ドリームチーム〟は実現するのか、新スタジアム構想、そして今回の参入が日本サッカー界にどんなインパクトをもたらすのか…。原博実社長(66)を直撃した。

 ――クラブは新たなスタートを切った

 原社長(以下原)(レッドブルから)いろいろな人が来るけど、「こうやれ」とかじゃなくて大宮がどういうチームなのかを、むしろ勉強しに来ている感じ。同じグループに入った仲間だから、過去にいろいろなクラブをやってきたノウハウとか、それを全部提供するから一緒にやっていこうみたいな感じですよ。

 ――目指すサッカースタイルは

 原 レッドブルはエナジードリンクなのでボールをつないでボールを取られないですよっていうサッカーではなくて、本当にアグレッシブに相手ゴールに向かうサッカー。ガンガン動いてガンガンチャレンジしてほしいというポリシーはあるんじゃないですかね。

 ――元リバプール監督でレッドブルのサッカー部門グローバル責任者を務めるユルゲン・クロップ氏や、元ドイツ代表FWマリオ・ゴメス氏が開幕戦を観戦

 原 2人とも「日本人(選手)と一緒に仕事したけど、優秀だよね」と。クロップさんは「やっぱり香川真司はいまだに大好きだし、本当にうまかった」と今も言っていたし、南野(拓実)のことも褒めていた。マリオは(シュツットガルトで同僚だった)遠藤航のことを評価していた。一緒にやっていたからこそ日本人のプレーヤーの良さとか、そういうものを十分知っている。

 ――クロップ氏の再来日もあるのか

 原 また来るんじゃないですか。来るけど(各国のグループクラブ訪問は)数日ですぐ帰っちゃう感じでやっているみたいですね。あのときは試合前日に来日して試合を見て、次の日にここ(練習施設)に来て翌日にレッドブルジャパンに寄って、その日の夜に帰ったみたい。

 ――J1復帰を視野

 原 もちろん早く上がりたいけど「今年絶対上がれ」というふうに言われてるわけじゃない。一歩一歩しっかりやっていきたい。マリオとかクロップさんとは、2030年くらいにJ1でタイトルを争っていたいよねという話はした。アジアチャンピオンズリーグ(ACL)、そして(クラブW杯など)世界に出ていくという目標もある。

 ――同じ埼玉ではJ1浦和がビッグクラブ

 原 多分(レッドブルは)浦和を意識しているとは思う。そういうライバルチームがあることも考えてやっている。

 ――新スタジアムも待望される

 原 大宮公園の再開発計画があり、NACK(本拠地・NACK5スタジアム大宮)も古いので、レッドブルもやっぱりそこに対しては当然興味を持っている。彼らは育成にも投資すると断言しているけど、そのためには当然トップチームの収入を増やし、規模を拡大する必要があり、実現にはスタジアムが持っている要素がすごく大事になる。

 ――収容人数も拡大

 原 開幕戦であんだけ入って1万3000人なので実質1万5000人にはいかないから、2万5000~3万人くらいは考えている。やっぱりVIPルームであったり、地元の人たちがもっとくつろげるような空間とかは、今のNACKでは難しい。ドイツも昔はスタジアムがひどくて、ドイツW杯のときだいぶ良くなった。何かのきっかけでそうなるし、大宮の場合そういう計画があるっていうのは、彼らも理解しているでしょうね。

 ――長谷部誠氏ら元代表戦士の指導者が大宮入りすることも

 原 ここで指導するかどうかわからないが、選手として欧州でやって日本の環境や指導の違いとか、身を持ってわかっている人が帰ってくるのはいいんじゃないかと思う。長谷部や岡崎慎司、吉田麻也なんかそうだし、そういう人たちがどんどん増えてくれば、いろんなものが変わってくる。

 ――レッドブルグループとしての今後

 原 RB大宮に行って活躍すれば、世界出ていけるかもみたいに思ってくれる若い選手が、増えるんじゃないかな。指導者に関しても、日本人が欧州のビッグクラブに入るのは現状では難しいけど、同じグループ内であれば、行きやすくなればと思う。入っていけば、日本の指導者が優秀なのをわかってくれるだろうから。それにウチが動いたことによって、(ほかのJクラブに外資の)参入が増えるんじゃないかと思ってますけどね。

☆はら・ひろみ 1958年10月19日、栃木・那須塩原市(旧・黒磯市)生まれ。矢板東高(栃木)から早大へ進み、81年に三菱重工(現・浦和)に加入。日本代表として国際Aマッチ75試合で歴代4位の37得点。92年の現役引退後は浦和、FC東京を指揮。2009年に日本協会に移り、技術委員長などを務め、16年からJリーグで副理事長。22年にフットボール本部長として大宮入りし、25年1月に代表取締役社長に就任した。