〝虎ハンター〟の異名を取り9日に68歳で死去した小林邦昭さんは、神聖なる新日本プロレス道場の管理人として後輩たちに広く愛されていた。
小林さんは2000年4月の現役引退後、道場の管理人として勤務。02年に入門し、現在は世界最大団体で活躍するWWEのスーパースター・中邑真輔は「小林さんに道場のイロハから、ちゃんこの作り方とかもろもろ教えてもらって、たまに稽古もつけてくれて。僕らは若手でチンチクリンだったから先輩たちに怒られることも多々あったんですけど、やらかした時に先輩との間に入ってもらったり。ある程度お目こぼししてもらったというか、一先輩とは違った関係性を築いてましたね」と感謝の言葉を口にする。
厳しい先輩が多い新日本の道場において、柔和な性格の小林さんは、若手選手たちにとって親しみやすい存在だった。「ほとんどの若手がそうだと思うんですけど、ちゃんこ番の時なんかは四六時中、小林さんのよた話を聞いて1日を過ごすという。『知ってるか!?』って言って、夕方に話しかけてきた小林さんのネタが、午前中に僕が教えたネタとかよくありましたよ」と、うわさ話好きだった小林さんとの楽しい思い出を振り返った。
団体創設者の故アントニオ猪木さんとの関係が悪化していた2000年代後半には、道場に飾られていた猪木さんのパネルが外された。外したのは棚橋弘至だと思っているファンも多いだろうが、実際は棚橋は提案しただけで、実行したのは小林さんだった。
中邑は「『猪木さんの看板、外してやったぜ』って言ってたのも小林さんですからね。あと小林さん、何でも捨てるクセがあるんですよ。道場に置いてあった海賊ガスパーの衣装一式、あれ小林さんが『もういらねえだろう、こんなもん』って言って確か捨てた気がする」と笑いながら証言し、誰からも愛された管理人の素顔を明かした。
また、中邑と同期の田口隆祐にとっても、小林さんはかけがえのない恩人だ。「練習は木戸(修)さんが師匠で、小林さんはプロレスラーとしての生活を教わった先生みたいな方ですね」。それでも午後の自主練の際には、よく練習を見てもらっていたという。
「デビューするちょっと前に『ドロップキックくらい、できなきゃダメだ』とヨシタツと教わったんです。最初は失敗したんですけど、2回目でクルッと回って着地するドロップキックができたら、小林さんが『佐山(聡=初代タイガーマスク)以来だよ。こんなに早くできるヤツ、いないよ』という最上級の褒め言葉をいただいたのが思い出に残ってます。あれはうれしかったし、自信になりましたね」
小林さんが終生のライバルになぞらえて褒めてくれたドロップキックは、その後の田口の代名詞に。褒めて長所を伸ばしてくれた小林さんが、後の「ドロップキックマスター」を生んだのだ。
さらに田口は「やっぱり優しいから、すごくモテたという話は聞きましたね。虎ハンターはガールハントも上手だったのかもしれないです」と小林さんの色男ぶりを語る。「ヨシタツとよく女性の話をしてましたね。あと一時期、スイーツ作りにすごくこだわってた時があって。それもよくよく考えてみると、女性にごちそうするための試作だったんじゃないかなと…。そんな話もしてたような」と意外な〝女子力〟の高さも証言した。
すべてのレスラーにとって始まりの場所である道場で20年以上にわたって管理人を務め、後進を育成してきた小林さんの功績はあまりにも大きい。田口は「若手のころに小林さんのひと言で自信をつけて、ドロップキックマスターと呼ばれるまで来られたので。本当に感謝してますし、これからも優しく見守っていてもらいたいです」と選手たちの思いを代弁し、故人の冥福を祈った。











