米国の名門・マレンコ道場で修行を積み、全日本女子プロレスで才能を開花させた米国人レスラーがデビー・マレンコだ。
1971年10月3日フロリダ州タンパ出身。同地で往年の名レスラー、ボリス・マレンコの道場で修行を積んだ。ボリスはWCWや全日本プロレスなどで活躍したテクニシャンコンビ、ジョー&ディーン・マレンコ兄弟の父親である。徹底して職人的なサブミッションとスープレックスを叩き込まれて、91年に来日。マレンコ家とは血縁関係はないが、名門出身としてのプライドを強調するため「デビー・マレンコ」を名乗った。
91年に初来日。3月17日後楽園で、吉田万里子と組み、山元真由美、長谷川咲恵組とデビュー戦を行う。ダブルリストアームサルトから腕固め、裏アキレス腱固めからヒザ十字固めなど、19歳とは思えない職人的ファイトを披露。ルックスやスタイルの良さも含めて、一気に男性ファンをトリコにした。最後はデビーが山元をノーザンライトスープレックスで沈め、デビュー戦を飾っている。
92年になると当時、全女の新星だった長谷川咲恵と「日米新星コンビ」を結成。一躍、注目を集めるようになる。同時に先輩の米国人女子レスラー、テリー・パワー(後にWWEに参戦)と「アメリカン・タッグ」でも活躍。同年7月5日にはいずれもWWWA世界タッグ王座戴冠の経験がある格上の堀田祐美子、みなみ鈴香組と対戦。大殊勲の勝利を挙げた。
同年7月15日には下田美馬と組んで吉田万里子、井上貴子組の全日本タッグ王座に挑戦するも、惜敗。場外で右足首をひねる大ケガを負った。それでも11月2日博多のタッグリーグ公式戦では吉田とのコンビで、WWWAタッグ王者の山田敏代、豊田真奈美組と30分フルタイム引き分けで評価を上げた。
93年2月10日には伊藤薫から全日本シングル王座を初獲得。しかし3月11日のタッグ戦中に、右足首を逆にひねり、脛部を複雑骨折。帰国して治療を続けていたが、その後、プロレス界から姿を消してしまった。ちょうど団体対抗戦が大ブームとなる直前だっただけに、負傷による引退は残念だった。アクシデントがなければさらに上のステージに立てる逸材だった。 (敬称略)













