“邪道”大仁田厚率いる全盛期のFMWで“邪道姫”工藤めぐみの相棒として、女子部を支えたのがコンバット豊田だ。

 1986年に全日本女子プロレスに入門し、同年9月17日の宍戸江利花(後のアジャ・コング)戦でデビュー、同年の全日本女子プロレス新人王を獲得する逸材だった。

 その後、悪役の覆面レスラー、2代目ダイナマイト・ベアに変身するも89年に全日本女子プロレスを退団。大仁田がFMWを旗揚げすると、90年3月には元全女の工藤、天田麗文らトリオで復活。ほとんど素人同然だった女子部に殴り込んで、女子戦線を活性化させた。この時期から本名の豊田記代からリングネームをコンバット豊田に改めた。

 168センチ、100キロの体形を生かしたブルファイトが得意で、師匠の大仁田譲りのサンダーファイヤーパワーボム式のパワーボム、ライガーボムで大暴れ。またドロップキックの名手でもあった。実は後輩思いで指導力にたけただけでなく、試合でも多くの若手選手のコーチ役となって団体に貢献した。90年11月5日にはFMW初の女子ベルトとなるWWA女子王座決定戦(相手はザ・ビースティー)を制して、初代王者になっている。

里にドロップキックを放つ豊田。同技の名手だった
里にドロップキックを放つ豊田。同技の名手だった

 92年から始まった空前の女子団体対抗戦ブームの先駆者となった功績も大きい。同年7月15日の全女大田区体育館大会に前泊よしかとシャーク土屋が挑戦状を持って乗り込んだことを契機に、FMW同年9月19日にブル中野、北斗晶のツートップが参戦。工藤と豊田が迎撃するも、工藤がブルのギロチンドロップに沈んだ。しかしこの一戦が点火剤となり、一気に対抗戦は大ブームを呼んだ。

 また工藤とはパートナーの間柄だったが、96年5月5日には女子史上初のノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチを敢行して話題を呼んだ。豊田はこの一戦を最後に引退。現役を退いてからは飲食店経営に乗り出して成功している。何でもありの試合内容で全国的な人気を誇った第1次FMWを陰から支えた一大功労者でもあった。 (敬称略)