【森脇浩司 出逢いに感謝(17)】“ローマは一日にしてならず”ですが、中日での2年間は2017年、18年ともに5位に終わりました。大島洋平、平田良介、ルーキーの京田陽太らがいた中、大島なんかは首位打者とか3割とか、打撃は言うまでもないわけですが、守備はまだまだ伸びしろがあると思っていました。オリックス時代の糸井嘉男じゃないけど、走ること、守ること、もっともっと価値観を高めることができると思っていた。
堂上直倫、福田永将もそれなりに存在感は示していたが…。ドラフト1位で入って4年、5年となかなか芽が出ない高橋周平。京田も含め、こういったところがもっと頭角を現さないと競争原理が働かないという見立てはしていました。そういう意味では鍛えがいのある選手がたくさんいる。あの2年間で野手はある意味一定のものは出してくれたかな、と思います。
18年に首位打者を取ったダヤン・ビシエドとはいい関係性でしたね。僕が中日を離れ、20年に彼がゴールデン・グラブ賞を取った時、連絡をくれたんです。「おかげで取れましたよ!」って。非常にうれしいことですよね。共有した時間、縁をもらった人たちから「これができるようになった」「タイトルを取れました」とか、言われると、こういうのが財産なんだなと思いますね。僕がロッテに移っても交流戦やオープン戦になると、通訳と一緒にあいさつに来てくれていました。
中日時代は松坂大輔の入団がありました。ソフトバンクに3年間いて、登板は仙台での楽天戦のわずか1回だけ。18年に37歳で中日のテストを受け、入団。大きな話題となりました。日米での実績は言うまでもなく、誰もが知っている。いろんな経験をし、苦しい時間も味わって人間としてさらに厚みを増しての中日入りだったと思う。歩みの中で苦しい時、称賛されることもあるけれど、こうして人って強くなっていく。それを数多く体験した1人だと思いますね。
当然、もともとの力もあって少し投球スタイルを工夫するだけでまだまだ戦力になれる。ナゴヤドームの集客という面もあるだろうけど、コントロールを安定させればホームランが出にくい球場でもある。森監督はそれも計算していたと思いますね。彼がマウンドに向かう姿、ネクストサークルにいく姿…プロフェッショナルを見ることができたね。
ホークス時代は表舞台に立つコンディションが伴わない歯がゆさがあったと思う。新しい環境でチャンスをもらい、もう一度、目指していく取り組みはドラゴンズの宝であり、財産だと思っていました。現にプロセスを経ながらマウンドに上がる。4月5日の巨人戦に先発し、30日のDeNA戦で日本球界12年ぶりの勝利をマークしました。その年は勝つための投球スタイルを確立させ、しっかりと勝っていくわけです。












