女子プロレス界にひそかな熟女ブームが到来している。きっかけは「OZアカデミー」率いる“美魔女”尾崎魔弓(54)が2月に開催した、45歳以上限定のトーナメント「R45~ババアをなめるなよ!~」だ。年齢を逆手に取ったネーミングも反響を呼び、8月にはジャガー横田(62)との最高齢タッグ王者としてギネス世界記録に認定された。現代のヒールユニットの礎を築き、今なお第一線に立ちながら新たな波を起こす尾崎の原点、そして原動力は何なのか。本紙インタビューで激白だ。

 ――4月23日にOZアカデミー認定タッグ王座を獲得した尾崎、ジャガー組の合計年齢115歳(当時)が最高齢王者ペア(女子)としてギネス世界記録に認定された

ジャガーとのタッグがギネスに認定された
ジャガーとのタッグがギネスに認定された

 尾崎 夢にも思ってなかったから、ちょっと感動ものですね。「ババアをなめるなよ!」興行で「ジャガーさんがすごかった」っていう声がすごいあったから、ベルトに挑戦するしかないと思って。あの興行がなかったら、組むことはなかった。こうして形として残って、長くやっていてよかったと思ったよね。

 ――2月12日に新宿フェイスで開催した“ババア興行”は大盛況だった

 尾崎 めっちゃ好評で、もっと広い会場でもよかったんじゃないかってくらい。成功した理由? 何だろうね。(今のファンは)若い子ばっかりじゃ物足りないのかな。隠れ熟女好きっていっぱいいるんですよ(笑い)。熟女ブーム到来だね。

 ――8月でデビュー37年

 尾崎 ジャッキー(佐藤)さんからも「すぐ辞めると思った」って言われていた。最初はデビュー前の練習がきつすぎて本当に辞めたかったけど、今辞めたら全部水の泡になるからデビューするまではやろうと思って。今辞めたら後悔すると思い続けてきて、気がついたら37年たっていた。

1986年3月、ジャパン女子の新人オーディションに合格
1986年3月、ジャパン女子の新人オーディションに合格

 ――デビュー前は新日本プロレスの“鬼軍曹”と呼ばれた故山本小鉄さん、グラン浜田さんから指導を受けた

 尾崎 真夏にプレハブの窓を全部閉め切って室内が40度ぐらいの中、基礎体力運動やって、休みなくスパーリングして。終わったらマラソンに行って戻ってきて、またスパーリングみたいな。それを朝の8時ぐらいから夜の10時ぐらいまでやっていた。毎日夜、みんなで泣きながら「もう辞める」「頑張ろうよ」って声をかけ合ってた。

 ――小鉄さんの指導は男子選手の中でも伝説になっている

 尾崎 竹刀持ってボコボコに殴られたり、ビンタされたりとにかく厳しかった。「いつか殺してやる」って思いながら練習してましたよ(笑い)。でも、付け人をやってた私に「言うなよ」って陰で1万円くれることもあった。小鉄さんや浜田さんに育ててもらって心身ともに鍛えられたから、今は本当に感謝しかないですね。

 ――デビューして1年でヒールに転向した

 尾崎 地方の会場で急に浜田さんから「明日からヒール」って言われて。もともとクラッシュギャルズ(長与千種&ライオネス飛鳥)に憧れて入って、やっていくうちにJBエンジェルス(山崎五紀&立野記代)みたいな華麗な感じになりたいなと変わっていくじゃない。その時に言われたから「絶対嫌だ」って言ったら、「荷物持って帰れ」って。「絶対帰らない」って言ったら、次の日の試合はヒールの人と組まされた。何していいかもわかんないからふてくされて、とりあえず(相手を)かんだけど、全く楽しくなかったよ。

 ――いつから悪に目覚めたのか

 尾崎(87年に)風間(ルミ)さんとジュニアのベルトをかけて戦った時くらいからブーイングされるのが楽しくなった。今までのヒールって化粧して汚いデブみたいなイメージあったから、やるんだったらきれいなヒールになろうと思い腹をくくって。今思うと浜田さんがヒールにさせていなかったら、もう辞めていたと思う。現代のヒールの礎になっている? そうだよ。一番最初に考えたのは私だよ。感謝してもらわなきゃ。

 ――今後のプロレス人生をどう描いているか

 尾崎 全く何も。目標を持たないタイプだから、終わりのことも自分が思いついたまま。そろそろいいかなみたいに思うかもしれないし、引退しないでそのままフェードアウトするかもしれない。ただ、まだやる。周りから止められてもやる!

 ――団体社長としては

 尾崎 スターダムが今人気があって話題にもなって、やっぱり悔しい気持ちがあるからこそ、もっと頑張ろうって思う。もっとOZに大きな話題を振りまかなきゃいけないから、中心になっていろいろ動かないとね。次は何をしてやろうかなっていう悪だくみで頭がいっぱい。この年になってもいい子になんかならないよ!

 ☆おざき・まゆみ 1968年10月28日生まれ。埼玉・川口市出身。17歳のときにジャパン女子プロレスに入門し、86年8月17日の旗揚げ興行(後楽園ホール)でデビュー。92年の団体崩壊後はJWPに所属し、97年にフリー転向。ガイア・ジャパンで活躍した。96年に結成した極悪ユニット「OZアカデミー」は、2006年から団体として活動。必殺技はテキーラサンライズ。158センチ、57キロ。