ついに頂点へたどり着いた。女子プロレス「スターダム」の23日横浜アリーナ大会で行われたワールド王座戦は中野たむが、王者ジュリア(29)破って新チャンピオンに輝いた。女優を目指して上京したが、紆余曲折あって2016年7月にプロレスデビュー。翌年11月のスターダム参戦から約5年半の年月を経て、悲願の団体最高峰王座を手にした。険しい道のりを歩んできた中野のシンデレラストーリーに迫った。
まさに激闘だった。中野は宿敵・ジュリアの猛攻に立ち向かい、一進一退の攻防を展開。得意技を連発して王者を追い込むと、最後はバイオレットスクリュードライバー(垂直落下式ファルコンアロー)をさく裂させ、王座を奪取した。
試合後にマイクを持ち「この世界は報われないことが多くて…。でも、そんな世界に少しだけ奇跡を起こせるのがプロレスだ!」と絶叫した中野の言葉は、これまでの苦労があるからだ。
幼少期はバレエを習っていたが、女優を目指していた母の意志を受け継ぎ上京。2012年にアイドルユニット「カタモミ女子」の一員として芸能界入りを果たした。しかし、アイドル活動の傍らで経理などの事務作業も強いられる毎日。夢の世界に足を踏み入れたものの、決して順風満帆ではなかった。
中野は「プロデューサーが7回飛んで、私たちの給料を持ち逃げしちゃうプロデューサーとかもいたんですよ。その月暮らせるお金がなくて、おなかをいっぱいにするために1袋100円のポップコーンだけで一日を過ごす日々も3か月くらいありました」と告白。15年4月に同グループを卒業すると、翌年7月にプロレスラーに転向した。
さらなる焦りを与えたのは、東大院卒で大学教授を務める弟の存在だったという。中野は「大事に育ててもらったのに、たむだけフラフラしていて。親戚の集まりとかで『たむちゃんは何をしているの?』って聞かれてたみたいで、いつも親を困らせていました」と振り返る。
絶対に見返すと心に決め、プロレスラー人生をまい進してきた。中野は「一族の中でも〝できそこない〟って自分ではずっと思ってたから、実家に帰ることもあまりできなかった。でも、今は赤いベルト持って、胸張って家に帰れる」と笑顔を見せた。
最近では、なつぽいとのタッグ「メルティア」としてCDデビューを果たし、アイドル時代にかなえられなかった夢を実現させた。「プロレスを始めていろんな夢をかなえて、こんな横浜アリーナなんて大きな会場で試合ができて、自分自身を少し誇らしく思います」と成長を実感。「両親にも『産んでくれてありがとう』って言いたいし、海外旅行の一つでもプレゼントしてあげられたらいいな」と涙ぐんだ。
今後は女子プロレス界を背負い、団体をけん引すると意気込む。「プロレスラーとしてMステ(テレ朝系『ミュージックステーション』)とかで歌ったり、プロレスを知らない人にも知ってもらえるようにしていきたい」と新たな野望を語った。
団体最高峰王座を手にした中野の物語は、第2章に突入する。












