【デンジャラスクイーンの真実#26】引退撤回を決意した私はアントニオ猪木さんが北朝鮮・平壌のメーデースタジアムで開催した「平和の祭典」(1995年4月28、29日)に参加させていただきました。

北朝鮮遠征でブルに勝利し勝ち名乗りを受ける北斗(95年4月)
北朝鮮遠征でブルに勝利し勝ち名乗りを受ける北斗(95年4月)

 全日本女子プロレスから出場したのは北斗晶、ブル中野、豊田真奈美、吉田万里子の4人。約19万人の大観衆で埋め尽くされたスタジアムの様子はよく覚えています。私はどこの会場に行っても、まずやることがありました。リングに上がって般若の面を取った後、一番上の席を見るようにしていたのです。
 視力がいい私が見ても、お客さんが米粒くらいにしか見えなかったのですから、さすがにビックリしましたよ。プロレス人生の中で、メーデースタジアムが一番大きな会場でした。それは健さん(佐々木健介)もそうだし、ブル中野も、みんなそうでしょうね。

 対戦相手にかみついたら黒い痕がついてわかるように、黒い口紅を塗ったり、マニキュアも塗って、小さな反則もわかるようにしていました。それが、この会場では一番上の席に向かってアピールしても、お客さんの反応がまったく見えなかったですからね。とにかくすごかった。

 試合のあった夜は、橋本真也さんと対談の取材があると言われていました。宿舎のホテルに戻って、ちょうどエレベーターに乗ると、付け人の方にネクタイを締めてもらっている選手がいました。橋本さんだと思って「今夜、よろしくお願いします!」とあいさつ。先にエレベーターを降りたのです。実は後からわかったのですが、その選手が、健さんでした(笑い)。橋本さんは付け人の大谷(晋二郎)くんと「ん? あれは何?」と話していたみたいで…。

 健さんと初対面したのはホテルのバーでした。取材があったので遅れて会場に行くと、新日本プロレスの選手と女の選手が長テーブルみたいなところに座っていました。「ここに座りなよ」って言われるがまま腰を下ろしたのが、健さんの隣の席。でも隣にいるからといって特に会話をするわけでもありません。

 途中、みんなが小腹がすいたとなり「カップラーメンならある」ということでお湯を入れてもらっていました。その時に健さんが「このラーメン、食べられる?」って話しかけてきたんです。カップをのぞいたら麺はまだガチガチ。だから「まだじゃないですか」と返事を返したら、シーンとなって会話が終わりました…。これが健さんとの出会いです。

 私はプロレス専門誌でも自分のページしか読まず、男子レスラーをまったく知らなかったのです。もちろん、このときは運命の人になるなんてまったく思っていなかったのですが…。