【今村猛 鉄仮面の内側(11)】2年目に54試合、3年目の2012年には自己最多の69試合に登板しました。チーム内ではセットアッパーや代役守護神を任せられ、プロ野球選手として順調に成長しているという状況でした。
12年のオフには日本代表、侍ジャパンにも選出していただきました。監督はカープの大先輩でミスター赤ヘルの山本浩二さんです。11月16日のキューバ代表との強化試合(ヤフードーム=現ペイペイドーム)では4番手で登板。2回を無失点に抑え勝利投手となった記録が残っています。
親善試合とはいえ日本代表です。プロ3年目21歳での選出は、当時の代表チーム内では最年少でした。ただ、自分の心の中では「おおおっ」と思うような興奮はなかったと記憶しています。
翌13年のWBC本戦にも日本代表メンバーとして選出していただきました。ただ、成績としては2試合で2回3失点という結果でした。
20代前半だったとはいえ11年に54試合、12年に69試合に投げているわけです。今思えばシーズンの疲れが残っていたんだとは思いますね。その疲労を背負ったままレギュラーシーズンに挑み、13年シーズンのパフォーマンスに響いた形にはなったと思います。
13年は57試合に登板して2勝5敗3セーブ、18ホールド。ただ、防御率は3・31と大きく下がりました。単純に体の動きが悪くなっていたり、そういう部分は分かってはいました。
実は2年目からずっと右肩が痛かったというのもありました。成績は右肩上がりでしたが、そのあたりの何年かはずっと状態が良くなかったのかなというのはありますね。
20歳になった2年目からずっと痛み止めを飲んでいました。普通なら異常事態なんですが、自分としてはそれが普通なんだと思ってやってましたね。でも、そんなんじゃ体を悪くして当然ですよね。
ここからの5年目、6年目は以前にもこのコラムで書かせていただきましたがカベにぶち当たりました。
そんな中で変化球をいろいろと試してみたりとか、直球の質を上げることにトライしたり、野球頭を鍛えてみたり、体のケアにも力を入れました。
僕の6年目、15年はメジャーから黒田博樹さんがカープに復帰しました。野手では阪神にFA移籍した新井貴浩さんが復帰していました。チームは4位に終わりましたが、強くなる兆しが見えていたころだったと思います。
ただ、15年オフにチームのエースだった前田健太さんがメジャー移籍したんです。当然ながら16年の下馬評自体は良くなかったはずです。
それでもベテラン2人の存在が16年の25年ぶりの優勝に大きくつながったと思います。チーム自体が強くなる条件が揃っていきました。
僕は投手なので、黒田さんはいつも近くにいました。とはいえ年齢も離れていますし、先発とリリーフですのであまり接点がないのが実情です。それでも黒田さんの存在が僕にとっては刺激になりました。












