暮れの王道マットに激震だ。全日本プロレスのジェイク・リー(33)が、年内で退団することが明らかになった。暮れの祭典「世界最強タッグ決定リーグ戦」最終戦が行われた7日の後楽園ホール大会で所属選手、スタッフへのあいさつを済ませ、8日の会見で正式発表される見込み。この他にも数選手が団体を離れる模様だ。昨年は3冠ヘビー級王座を初戴冠し、プロレス大賞「殊勲賞」を初受賞した中心選手の離脱で、旗揚げ50周年の老舗団体が大きな岐路を迎えた。

 宮原健斗、野村卓矢組の優勝で幕を閉じた、暮れの祭典の裏で、全日本に大きな衝撃が走った。複数の関係者の情報を総合すると、ジェイクが年内で退団することが決まった。

 最初に動きがあったのが今秋に入ってからだ。ジェイクが「自分の力を試したい」と退団の意向を伝えてきたという。団体側も「生え抜きでやってきてくれたし、全日本の未来を支えてほしい」と慰留を続けてきたが、本人の意志が固く話し合いは平行線をたどった。だが、最後は団体側もジェイクの意向を尊重し、11月の契約更改の席で退団を認めることになったという。

 押しも押されもせぬ王道マットの中心選手だった。2011年8月の全日本・登別大会でデビューした後は約2か月で退団するも、15年6月の後楽園大会で再デビュー。192センチの長身を武器にメキメキと頭角を現した。 

 飛躍の年となったのが21年だ。春の祭典「チャンピオン・カーニバル」初制覇から、6月に悲願の3冠ヘビー級王座初戴冠を成し遂げた。昨年末に「鼻骨骨折、左眼窩内側壁骨折」を負い王座返上となったが、約3か月後に復帰すると再びトップ戦線で活躍。今年6月には宮原を破り、3冠王座を奪回した。

 一方で、今年に入り新たな目標が芽生えた。きっかけは4月の後楽園ホール「還暦祭」だ。対戦した新日本プロレスの棚橋弘至から新日マット参戦を提案され、ジェイクも即座に呼応。ファンの間でも機運が高まっていたが、目標にした「G1クライマックス」参戦は実現しなかった。

 その後も他団体勢の評価は高く、藤波辰爾デビュー50周年ツアー最終戦となった今月1日のドラディション代々木大会では、トリオを組んだ新日本のザック・セイバーJr.から試合後に「また組みたい。来年は新日本に来てもらいたいし、G1には最適だと思う」とラブコールを受けたばかり。ジェイクも他団体への参戦を希望していることから、退団後は新日本、ノア、DDTなどへの参戦が浮上しそうだ。

 最強タッグに青柳優馬とのコンビで出場したジェイクだったが、成績は振るわず、公式戦2試合を残して脱落。7日の後楽園大会では最終公式戦で土肥こうじ&羆嵐組に勝利し、試合後は「土肥羆、あんたたちがいたから今がある。ありがとう。そして青柳優馬、今回組んでくれてありがとう」と珍しく感謝の言葉を述べて会場を後にした。

 全日本マットはこれまでも数々の退団劇に見舞われてきた。1990年には天龍源一郎らが団体を離れ、2000年には故三沢光晴さんらが大量離脱し、ノアを旗揚げ。13年には武藤敬司らが退団し、W―1を立ち上げた。それでも、中心選手の離脱に伴う影響は計り知れない。しかもジェイクの他に、数人の退団選手がいる模様。暮れのマット界に大きな波紋を呼びそうだ。

 ☆ジェイク・リー 本名リ・チェギュン。1989年1月19日生まれ、北海道・北見市出身。中学1年から大学4年までウエートリフティングを続け、2011年8月の全日本プロレス登別大会でデビュー。約2か月で退団するも、15年6月の後楽園大会で再デビューした。21年6月に3冠ヘビー級王座を初戴冠し、この年のプロレス大賞「殊勲賞」を初受賞。得意技はD4C。192センチ、108キロ。