DDTの秋山準(52)が、18日に東京・後楽園ホールでデビュー30周年記念大会を迎える。ジャイアント馬場率いる全日本プロレスでデビューし、ノア、全日本、そしてDDTと3団体を渡り歩いたベテランは、節目を迎えて何を思うのか。今後のプロレス人生をどう考えているのか? 胸中を直撃した。

 ――プロレス人生を振り返って

 秋山 30年ってやっぱ結構長い感じだけど、今思うとあっという間で。いろいろ渡り歩いてきたけど、まあ一生懸命やってきたかなと。最初の全日本からノアはほぼみんな一緒に移動したから、そこまで変わった感じはしなかった。その後に(移籍した)全日本って、もともといたところで同じ名前だけど、武藤(敬司)さんが仕切っていたからカラーが違う。今はもっと違う色のDDTにいるけど。

 ――DDTでは若手選手の底上げを託されている

 秋山 効いてくるのはだいぶ先だと思うから、今は基礎をつくれればと思う。生まれも育ちも違うから、俺が言ったことを理解できないこともある。だから、全部俺のやり方で理解させようとは思ってない。

 ――具体的にどんな指導を

 秋山 言葉ではリズムであったり、試合の緩急のつけ方とか。まあ、そんな必要じゃない人もいるし。デビューした子を中心に指導している。DDTのよさがあるから、大枠を崩してまで教えるつもりはない。投げ方一つでも違うんですよ。「頭を押さえずにボディースラムした方が大きく見えるよ」って言っても、癖であったりがあるからね。

 ――「打倒・新日本プロレス」を掲げている

 秋山 彼らは今のDDTのスタイルで超えたいと思っているから。まあ、なかなか難しいことではあると思うけど、それを手助けしたいと思う。でも、何が起こるかわからないから。飯野〝セクシー〟雄貴みたいにお尻を出しててもいけるかもしれないしね。俺は小さい子たちには見せづらいとは思うけど(笑い)。

 ――18日の記念試合は金丸義信(新日本)、遠藤哲哉と組み、永田裕志(新日本)、竹下幸之介、勝俣瞬馬組と対戦する

 秋山 永田選手はずっと意識してきた選手。そして金丸は俺のそばで手助けしてくれて、彼が一番うまかった。遠藤、竹下は俺の技を引き継いで歴史を継承してくれている。勝俣は金丸に一番近いオールラウンダーなファイトスタイルだなと思ったから。接することで金丸のうまさを体感してもらいたい。

 ――永田選手との印象に残る試合は

 秋山 初めて接点を持ったのは(2001年3月2日両国国技館の)ゼロワンの旗揚げ戦で、橋本(真也)さん、永田組対三沢(光晴)さんと俺が組んだ戦いだった。最初に向かい合った時に永田選手が、川田(利明)さんの動きをした。俺は川田さんと一番対角にいた人間だから、挑発されたんだ。それでこいつはよく見ているなと思ったよ。

 ――10月9日に53歳になる。今でも第一線で活躍できる原動力は

 秋山 家族、ファンのみんなとかいっぱいある。ファンの中にはデビューの時から応援してくれている方がいるからね。一つくらいの原動力じゃ、もうおじさんは動かない。皆さんのおかげで今があります。

 ――引退を考えることは

 秋山 それは自分との戦いだからね。気力がなくなったら終わりだなって。やっぱり若い子に負けたくないとかそういう気持ちがまだあるから。

 ――海外団体への参戦に興味は

 秋山 海外はないですね。俺が海外に行くことでDDTの役に立つんであれば行くけど、自分からはない。まあチャンスがあれば、心が動かされる相手がいればだね。

 ――今後の個人としての目標は

 秋山 若い子たちを底上げして、新日本に追いつけるようにとは思うけどね。ベルト? チャンスがあれば。DDTが盛り上がるなら狙っていきたい。

 ☆あきやま・じゅん 1969年10月9日生まれ。大阪・和泉市出身。専大卒業後にジャイアント馬場のスカウトで全日本プロレスに入門し、92年9月17日の後楽園大会で小橋健太(現建太)を相手にデビュー。2000年7月にノアに移籍するが、13年7月に全日本に再入団し社長も務めた。レンタル移籍を経て21年2月にDDT入団。必殺技はエクスプロイダー。188センチ、110キロ。