【豊田誠佑 おちょうしもん奮闘記(29)】1998年に一軍外野守備走塁コーチから編成部に移った俺が最初に行った仕事は少年野球の指導だった。実はこのころからドラゴンズは地元の少年野球を盛り上げることに力を入れ始めていて、元捕手の新宅洋志さんがトップ、俺がその補佐として野球を教えることになった。

 子供たちと一緒に野球するのは面白かった。中学生やシニアのボーイズリーグを相手に打撃、守備、走塁などいろんなことを教えた。まだ体も動いたから打撃投手もガンガンやったりしていたね。

 2年ほど少年野球の指導中心の仕事をしていたんだけど2000年に本田スカウト部長から「スカウトをやってくれ」と声がかかった。03年の1年だけ二軍外野守備走塁コーチをやったけど08年まではずっとスカウト。関東と北信越地区が担当だ。

 ドラゴンズの未来を託す金のタマゴたちを探す仕事だけにやりがいはすごくあった。高校、大学、社会人の大会があればどこにでも駆けつける。いろんな選手を見てきたんだけど不思議なことに「あのとき獲っておけばよかったなあ」と後悔した選手の方がよく覚えていたりする。その代表的な例が01年ドラフトで大阪桐蔭高から西武ライオンズに入団した中村剛也だった。「おかわり君」を実はドラゴンズも狙っていたのだ。

 01年7月に行われた夏の大阪府大会で中村は6本塁打を記録。藤井寺球場で行われた試合を中日スカウト全員で見に行ったんだけど、バッティング技術もパワーも高校生離れしている。その年、ドラゴンズは寺原隼人(日南学園)を1位指名することに決まっていたが、外れ1位候補の1人としてリストアップされた。

 だけど、おかわり君のポジションがファーストということはネックに感じていた。身長(175センチ)もそんなに高いというわけではない。金属バットではホームランを何本もかっ飛ばすけどプロに入って木のバットになったとたんボールが飛ばなくなるプレーヤーを何人も見てきた。超高校級のスラッガーではあったが、スカウトの一部からは慎重な意見も出たし、俺もどちらかといえば消極的だった。

 この年のドラフト会議では中日、巨人、横浜、ダイエーの4球団が寺原を1位指名で競合。くじ引きでダイエーが寺原を引き当てた。スカウト会議の結果、寺原を外した場合は、中村ではなく捕手の前田章宏(中京大中京)でいくことになり、結局、中村は西武に2巡目で指名された。

 プロ入り後のおかわり君の活躍は皆さんご存じの通り。本塁打王6回、打点王4回、ベストナイン7回と日本プロ野球史に残る大打者となった。西武が三塁手として育てたのはさすがだと思ったね。

 もしも、おかわり君がドラゴンズに入っていたら何本ホームランを打っていたんだろうと考えることがある。でも、今のドラゴンズには石川昂、鵜飼ら若手の大砲候補が出てきた。広いバンテリンドームを苦にせず、本塁打をバンバン叩き込める選手に成長してほしいよね。

 ☆とよだ・せいすけ 1956年4月23日生まれ。東京都出身。日大三高では右翼手として74年春の選抜大会に出場。明治大学では77年の東京六大学春のリーグ戦で法政のエース・江川から8打数7安打と打ちまくり首位打者を獲得。「江川キラー」と呼ばれるようになる。78年オフにドラフト外で中日ドラゴンズに入団。内外野をこなせるバイプレーヤーとして活躍し82、88年のリーグ優勝に貢献した。88年に現役を引退後はコーチ、スカウト、昇竜館館長を務め2014年に退団。現在、名古屋市内で居酒屋「おちょうしもん」を経営している。