【赤堀元之 〝猛牛〟世紀末守護神(4)】
1992年10月、すでに最優秀救援のタイトルは確定。さらにロングリリーフのおかげで最優秀防御率の規定投球回の130回にもあと15回という状況になりました。15回を3点以内に抑えれば取れるかもしれない。仰木彬監督に「先発で投げるか」と言われ、僕はもう一つのタイトルに挑戦することにしました。
登板予定は5日と11日のダイエー戦。でも…それが決まった後のリリーフ登板で打たれてしまい、防御率が上がってしまったんです。防御率トップの西武・石井丈裕さんの数字が気になっていたし、これはやばい。行くぞ、と言われたんだけど、難しい。取れなかったら意味のないことだし、それで仰木監督に「やっぱりやめます」と言いに行ったんです。監督も「ああ、そうか」と…。
そしたら今度は石井さんが打たれてまた防御率が上がった(笑い)。2人とも1・90くらいになって、また可能性が出てきたので監督に「すいません、もう1回いいですか」と言ったら「ええよ」と(笑い)。西武は優勝もあったし、日本シリーズもあるので石井さんだけ思い切った使い方をできないでしょうし。石井さんもこっちが気になってたんじゃないですかね。
2年ぶり3度目の先発もリリーフの調整を変えることなく、球数が増える不安もなかった。点を取られたら終わりだ、と思って投げたら5日の試合で完封できたんです。初回に村松有人に右中間三塁打を浴びてヤバくなると、内野がみんな集まってくれて「俺が悪送球したら自責点にならんだろ」「エラーしてやろうか」なんて言ってくれて(笑い)。「いやいや、いいですよ」って。それくらいみんなが支えてくれた。その三塁打だってライトの鈴木貴久さんが必死に飛び込んで捕ろうとしてくれた。今まで見せたことないようなプレーを見せられると、やらなきゃいけないと思うじゃないですか。
ダイエーにとっては消化試合でも僕は必死。最後まで行くもんだと思って9回完封勝利です。先輩たちに「なんでお前は急にぱっと先発して完封できるんだ。おかしいだろ」って言われましたよ。あと1試合で6回を3点以下に抑えればいい状況になった。
2試合目は中5日で11日。体が張って重かったけど、普通にやったらいけるだろうと軽い気持ちで行きました。毎日投げている方が疲れない体になっているんですね。先発の人たちは毎回いいパフォーマンスをするために投げない日もいろんなことをしているんだな、と思って勉強になりました。前回良かったといって今回も機能するわけではないですから。
最後の登板で6回を3失点に抑えて規定をギリギリでクリア。みなさんのおかげで防御率1・80でタイトルを取ることができた。防御率と救援の両方というのが珍しいことだったのでうれしかったですね。抑えでそこまで投げたことが勲章だし、先発でもいけるのかなって自分で思った。
☆あかほり・もとゆき 1970年4月7日、静岡県藤枝市生まれ。静岡高のエースとして2年夏に甲子園に出場し、88年のドラフト4位で近鉄に入団。リリーバーとして頭角を現し、4年目の92年に最優秀救援投手と最優秀防御率をダブル獲得。92~94年、96~97年と5度の最優秀救援投手に輝いた。その後は故障に苦しみ、2004年に引退。指導者としてオリックス、ヤクルト、中日、韓国SKで投手コーチ、BCリーグ・新潟で監督を務めた。22年から関メディベースボール学院でコーチをしながらテレビ解説者としても活躍している。












