【赤堀元之 〝猛牛〟世紀末守護神(1)】近鉄の守護神・赤堀元之氏(52)は1990年代のパ・リーグを代表する最強ストッパーだ。イニングまたぎのロングリリーフは当たり前。5度の最優秀救援投手に輝き、92年にはリリーフながら規定投球回に到達し、最優秀防御率とダブル獲得の離れ業をやってのけた。精密スライダーを武器に西武打線に立ち向かい、あのイチローも手玉に取った鉄人右腕が、栄光とケガに苦しんだ野球人生を語る。
1992年から僕は3年連続で最優秀救援のタイトルを取れました。思えば飛躍のきっかけになったのはあるアクシデントからでした。プロ2年目の90年後半から中継ぎをやるようになって21試合で4勝0敗、防御率2・98。自信をつけて3年目の91年はもっと投げるつもりでした。吉井理人さんと2人でストッパーをやることになっていたんですけど、吉井さんの状態があまり良くなくて僕が任されることになり、途中まで順調に来てたんです。
ところが、6月16日の西武戦で石毛宏典さんの打球を右手に受けた。その日は連投していて少し肩が疲れていたことで神部年男投手コーチに「今日は疲れて投げれません。今日だけ休ませてほしい」と申し出ていたんです。「おう、考えとく」となったんですけど、おそらく仰木彬監督にまで話がいってなかったと思います。試合が接戦になって「赤堀、準備してくれ」と。気持ち的には休むつもりだったので、ボールもいかない。石毛さんにもそんなに打たれていなかったけど、球の力がなく、抑えられる感覚もなかった。シュートが中に入って打たれ、僕の正面に飛んできた。あの小さいボールがめちゃ大きく見えましたね。
そのままグラブにも当たらずに胸の前にあった右手甲に直撃し、ベンチに戻ったら腫れてきた。これは骨折かもしれない…と思いながら病院に向かうと、タクシーの中ではそんなに痛くない。もしかしたら打撲で済むかもしれない。まだ6月でこれからという時期というのもあるし、翌日から東京遠征。僕の中では先輩に飲みに連れていってもらえる気持ちがあったので「行けるかな」なんて思っていたんです。
そしたら病院に着いたら「骨折です」と…。投げたくないという負の連鎖で招いてしまったんですね。人さし指の下の骨がポキリと折れていた。神様も見ていたのか、バチが当たったのかなあ。
東京へも行けず、そこからリハビリの日々。幸いにも折れた箇所がギプスをするだけで切らずに済んだ。不幸中の幸いというか、最低限のことで済んだ。それでも9月に復帰するまで3か月かかりました。感覚は戻ってこないし、手首の柔らかさがなく、スピードもない。そのまま中継ぎで少し投げてシーズンが終わった感じですねえ。加藤哲郎さんが後ろを投げていました。
いい時の感覚が戻るのだろうか…。翌92年のキャンプでも143~144キロ出ていた真っすぐが、腕を振っても137~138キロくらいしか出ない。キレも戻らない。オープン戦に入っても打たれ、実戦でスピードが出ない。どうしたら出るのか…。ウエートをやったり自分で考えて調整しても身につかない。
それが、信じられないことが起きるんです。オープン戦最後の神戸でのオリックス戦。その時も抑えの可能性があると言われ、ブルペンで投球練習をしていると…。
☆あかほり・もとゆき 1970年4月7日、静岡県藤枝市生まれ。静岡高のエースとして2年夏に甲子園に出場し、88年のドラフト4位で近鉄に入団。リリーバーとして頭角を現し、4年目の92年に最優秀救援投手と最優秀防御率をダブル獲得。92~94年、96~97年と5度の最優秀救援投手に輝いた。その後は故障に苦しみ、2004年に引退。指導者としてオリックス、ヤクルト、中日、韓国SKで投手コーチ、BCリーグ・新潟で監督を務めた。22年から関メディベースボール学院でコーチをしながらテレビ解説者としても活躍している。












