【赤堀元之 〝猛牛〟世紀末守護神(25)】2005年からオリックスの投手コーチとして主にブルペンを任されることになりました。近鉄との合併チームということでコミュニケーションが大事。同じ関西の同じリーグの選手とはいえ、最初はぎこちなくて、それぞれのチーム同士で固まったりしますから。選手目線になって話を聞くようにし、キャッチボールにしてもアップにしても僕が現役時代にされていたように、観察して見守ってあげていました。

 少しの変化とか様子がおかしいとか思ったら声をかける。選手は「いけます。大丈夫です」って絶対言うんです。でもそれで投げさせたら次にどうなるか…。選手生命にかかわることだってある。今がチャンスっていう選手もいるし、尊重もしてあげたいのでそのへんの判断が難しかったですね。僕がイニングまたぎで連投していたから「できるだろ」って思っても時代も違うし、そこまでも言えない。経験談ではなく、自分の頭で考えさせるようにしました。

 コーチ1年目といっても、仰木彬監督のこともあるし、勝たなきゃいけない。仰木さんはシーズン中から体の具合が悪そうでした。オフにまさか亡くなるなんて思わなかったですけど、仰木さんのためにもプレーオフに出なきゃいけなかった。それが4位に終わったのが残念で…。

 オリックスでは5年間、一軍と二軍で投手コーチを務めました。二軍では基礎体力をしっかりつけさせながら練習の中でプラスアルファを見いだしていく。昔とは考え方も違うので言いすぎてダメになる選手もいたし、メンタルがそこまで強くない。コーチがフォームをいじっておかしくなることもあるので、選手自身が「こうだ」と思うことが大事だよって。ブルペンはピリピリしすぎないよう、行く時は行くぞっていうメリハリをつけることを心がけました。

 そのころのオリックスは監督が毎年のように代わってイメージがよくなかった。5年間やってAクラスは08年の一度だけ。その年はテリー・コリンズ監督が5月に辞任するんですが、2位に入って球団初のCSに出場できた(ファーストステージ敗退)。小松聖の活躍があったのと、北京五輪に誰も選ばれなかったのも大きかった(笑い)。でも翌09年はまた最下位。コーチの配置転換も途中で何度もあるし、宮内義彦オーナーの顔色をうかがうじゃないですけど、低迷期はバタバタして選手もこんがらがるし、もがいてた時代でした。

 大石大二郎監督が退任し、岡田彰布さんに代わるタイミングで僕も退団。秋ごろ、韓国の金星根さんが監督を務めるSKワイバーンズ(現SSGランダース)とつながりがある人から「投手コーチを探している」という話をもらい、SKの高知キャンプを見に行ったんです。何をしようかと思っていた時期だったんで、韓国もいいなと思い、コーチとして契約したんです。金星根監督からは「二軍を見てくれ」と…。

 ☆あかほり・もとゆき 1970年4月7日、静岡県藤枝市生まれ。静岡高のエースとして2年夏に甲子園に出場し、88年のドラフト4位で近鉄に入団。リリーバーとして頭角を現し、4年目の92年に最優秀救援投手と最優秀防御率をダブル獲得。92~94年、96~97年と5度の最優秀救援投手に輝いた。その後は故障に苦しみ、2004年に引退。指導者としてオリックス、ヤクルト、中日、韓国SKで投手コーチ、BCリーグ・新潟で監督を務めた。22年から関メディベースボール学院でコーチをしながらテレビ解説者としても活躍している。