【プロレスPLAY BACK(106)】12月には名勝負が多く、先日は1974年12月2日にジャイアント馬場が日本人初のNWA世界王座を奪取した模様をお伝えした。この10日後の12月12日、新日本プロレス蔵前国技館大会でアントニオ猪木がストロング小林と再戦を行い、卍固めで激闘を制した。

 両雄は同年3月19日蔵前大会で初対決。日本中の注目を集めたプロレス史に残る激闘の末、猪木が勝利した。フィニッシュはいわゆる「両足が宙に浮くジャーマン」。まさに芸術的なフィニッシュだった。猪木対小林の再戦は開始早々にミスジャッジによる大ハプニングが起き、本紙は1面で詳細を報じている。

「猪木か小林か? 満天下のプロレスファン注目の大一番は、アントニオ猪木が必殺の卍固めで小林を破り、NWF世界タイトル8度目の防衛に成功した。超満員の観客をのみ込んだ蔵前国技館。技には技、力には力で両雄相譲らず、すさまじいラフな試合展開となりパンチの応酬で小林が流血した。アトミックドロップの連打で猪木をピンチに追い込んだが猪木は痛烈な右フックで小林をぐらつかせて必殺の卍固め。一度はこれを外した小林だが、猪木は再度の卍固めで攻勢。小林は歯を食いしばってギブアップせず、レフェリーのコシキ・ジンが限界と見て『レフェリーストップ』で28分27秒、猪木の右手を挙げて勝利を告げた。

<ミスジャッジの経緯>ゴングが鳴った瞬間、猪木が2発のドロップキックで小林を吹き飛ばしてフォール。レフェリーのコシキ・ジンはカウント3で猪木の右手を挙げたが、小林の足はロープにかかっており、小林側セコンドと小林が激高して猛抗議。超満員の観客は興奮してビン、ミカンなどを投げ大混乱の状態となった。高橋アシスタントレフェリーは『私からは死角に入っていた』とはっきりせず、判定は大もめにもめたが、主催者である東京スポーツ新聞社高橋事業局長が「小林の足は確かにロープにかかっていた」と強硬にアピール。コシキ・ジンレフェリーもミスジャッジを認めたため、試合再開となった』(抜粋)

 開始早々に決着がついてしまったのだから、大観衆が怒るのも当然だった。何とか試合が再開されると、小林はじっくりと重厚な攻めを見せ、再び名勝負が展開された。

 小林は3月の敗戦後に単身渡米。WWWF(現WWE)に参戦し、9月には当時の王者ブルーノ・サンマルチノにも挑戦した。マジソンスクエア・ガーデンの定期戦にも出場してニューヨークでトップの一角に食い込んでいたのである。再戦での自信に満ちあふれた堂々たる表情は、実に印象的だった。

 結果は猪木が勝ち、日本中を熱狂させた初対決には及ばなかったが、この試合はこの試合で間違いなく昭和史に残る名勝負だった。 (敬称略)