【平成球界裏面史 WBC編(1)】歴史的大会の産声が上がった。平成18年(2006年)3月に開催された第1回WBCは、16の国と地域が参加。日本は当初の段階で大会の実現を提唱したMLB(メジャーリーグ機構)の一方的な開催通告や利益配分に反発し、不参加の意向を固めていたものの前年9月に撤回して参加することになった。紆余曲折ありながら日本代表は王貞治監督(ソフトバンク)のもと、複数の現役メジャーリーガーもメンバーに加わる「最強」のチーム編成が組まれた。
精神的支柱としてチームをまとめたのはイチロー(マリナーズ)だ。大会開催前には韓国や台湾などアジアの代表チームを引き合いに出し「向こう30年、日本にはちょっと手を出せないな、みたいな、そんな感じで勝ちたいなと思っている」と発言。これに韓国が過剰反応し、日韓対決がヒートアップする側面もあった。それでも開幕後、第1ラウンドA組(東京ドーム)を突破した日本代表への注目度はまだ「平凡レベル」だった。
一気に日本全体から爆発的な関心が寄せられるようになったのは、第2ラウンド1組の初戦、日本―米国戦(3月12日、エンゼル・スタジアム)からだった。3―3で迎えた8回一死満塁から岩村明憲(ヤクルト)が左翼へ飛球を上げると三塁走者・西岡剛(ロッテ)はタッチアップからホームイン。米国守備陣は西岡の離塁が早いとアピールしたが、二塁塁審が両手を広げて「セーフ」をコールしたため終盤で勝ち越したと思われた。ところが、米国代表のバック・マルティネス監督からの抗議を受け、球審のボブ・デービッドソン氏はあっさり判定を覆した。
三塁側ベンチの王監督が左手の人さし指を横に振りながら、ゆっくり歩を進めて球審のもとへ向かった。“世界の王”が表情は変わらずとも「ノー」を連発し、明らかに静かな怒りを漂わせていた。しかし判定は変わらず日本は米国に9回裏、サヨナラ負けを喫した。
試合後、王監督は会見で「いくら抗議があったとはいえ(判定を)変えるということは日本で長年、野球をやっているが見たことがない。一番近いところにいた審判がセーフと言っているのに、遠くにいた審判が変えるのはおかしい」と毅然とした口調で訴えた。それでもデービッドソン氏は「あのケースでの判定権限は球審を務める自分の領域」と声明を発表し、正当なジャッジであると主張した。
「USAトゥデー」や「ワシントン・ポスト」など多くの主要な米メディアがデービッドソン氏の判定に疑問を投げかけ、日本国内でも王ジャパンに対する同情的な世論が一気に高まった。民放局のワイドショーでも「WBC」「王ジャパン」がトピックスに取り上げられるようになったほど。この“世紀の大誤審”が皮肉にも日本のWBC人気に火をつける格好となった。
ちなみにデービッドソン氏は後日、米スポーツ専門局「ESPN」のインタビューでも平然と「日本は野球を知らない」「もう少し野球大国の米国をリスペクトすべきである」などと挑発的な言葉を並べ、自らに向けられた誤審疑惑を一切認めようとしなかった。あまりに乱暴な発言のオンパレードには、同局スタッフが途中で思わずカメラの電源を切ったほどであった。
こうした悪態ぶりまでクローズアップされるようになった同氏については、当時ロッテを率いていたバレンタイン監督が「彼はMLBでボークを連発するなど誤審も多く、そのニックネームは“ボーキング・デービッドソン”」と吐き捨てたこともあった。日本でデービッドソン氏はすっかり悪役になっていた。
そして、この記念すべき第1回大会を王ジャパンが初制覇。するとデービッドソン氏は再び「ESPN」の取材に「日本は私に感謝したほうがいいかもしれない」とジョーク交じりにコメントした。現在は審判業を引退したとはいえ“ヒール・デービッドソン”は日本のWBC戦史に永遠に刻み込まれるだろう。












