全日本プロレスの元3冠ヘビー級王者・故ジャンボ鶴田さんの「23回忌追善興行」(5月31日、後楽園ホール)は1588人(超満員札止め)のファンが詰めかける大成功に終わった。メインでは新旧3冠王者が揃った6人タッグという豪華なカード(30分ドロー)で、天龍源一郎、ザ・グレート・カブキ、故三沢光晴さんを除く四天王(川田利明、田上明、小橋建太)らがセレモニーに駆けつけた。

 川田は「今でも自分の中で最強のプロレスラーはジャンボ鶴田です」と語ったが、最大のライバルで、なかなか超えられなかった壁が足利工大附属校の1年先輩である三沢だった。

 初勝利は実にプロ入りから15年目の1997年4月19日、日本武道館のチャンピオン・カーニバル決勝巴戦。三沢、川田、小橋の3人が得点19で並び史上初の巴戦が決行された。抽選の結果、まず三沢と小橋が30分ドロー。スタミナをロスした三沢に川田が速攻勝負を仕掛けて6分9秒、パワーボムで勝利。続く小橋も21分27秒、ジャンピングハイキックで葬り、2度目の優勝を果たしている。

 川田は「勝てたのはうれしいけど本当の意味で超えなければならない。それだけ奥の深い人」と複雑な表情を見せていた。完全な形で勝ちたいという気持ちも分かった。

 そしてついにシングルで三沢から初勝利を収めたのが、全日本初の東京ドーム大会(98年5月1日)の3冠戦だった。カーニバルは94年に三沢(この年は負傷で途中欠場)よりも先に初優勝を果たし、同年10月22日武道館ではスティーブ・ウィリアムスを撃破して3冠初戴冠を達成していたが、三沢には92年10月の初挑戦から6年間で実に6度目の挑戦となった。歴史に残る大舞台で川田は奮闘した。

『立てなかった。そして涙が止まらなかった。二度と手が届かないと思えた3本のベルトがここにある。5万8300人の「川田コール」がハッキリと耳に届いた。「今プロレス人生で一番幸せです!」とマイクを差し出された瞬間に口をついた言葉は、まぎれもなく心の底からの叫びだった。午後9時59分、運命のゴングが鳴った。川田が強烈なダッシュ。膝蓋骨骨折の重傷を負っている三沢の左ヒザへ鋭いローキック。三沢がタイガードライバーを決めれば、川田は1回転ジャーマンで倍返し。川田は徹底した左ヒザ攻撃から、三沢の生命線である右ヒジへ攻撃を移行。アームブリーカーから逆十字、キックを1ダースも打ち込んだ。23分、川田が出た。大一番しか出さない延髄斬りを号砲に顔面へのジャンピングハイ、延髄ラリアート…三沢の首がガクッとのけぞる。再度ジャンピングハイから高角度ブレーンバスター、そして場内の悲鳴を切り裂くように最後はパワーボム2連発。2発目は三沢を垂直に抱え上げての強烈な一撃だ。3カウント。川田は精根尽き果てた表情でマットに崩れ落ちた。約3年2か月ぶり2度目の戴冠。しかもドームのメインで三沢を撃破。川田にとってはどんな勝利よりも価値ある重い1勝だった』(抜粋)

 文句のない内容で三沢超えを果たした川田は、バックステージでも感極まった表情を見せ「これだけの大舞台で、それも三沢さんを破っての3冠ベルト。感無量です。やっぱり三沢さんは偉大だった…」と語った。当時取材した際にも思ったが、ぶっきらぼうな男が、ここまで感情を率直に出した試合は、ほとんど記憶がない。それほど三沢という壁は大きかった。

 取材陣も200人が詰めかけた全日初のドーム大会。三沢は左ヒザなどの負傷のため、大会後から長期欠場に入り、川田は世界タッグ(パートナーは田上)と合わせた5冠王として、次期シリーズ(5月23日~6月12日)には堂々たる“エース”として臨むことになる。(敬称略)