【豊田誠佑 おちょうしもん奮闘記(3)】俺が入部した明治大野球部には伝説のカリスマ指導者がいた。“人間力”の言葉でも知られている島岡吉郎監督だ。御大(島岡監督は選手からこう呼ばれていた)は明治大の応援部出身で野球経験者ではなかったんだけど、そんなことは気にならないほどものすごいエネルギーを持っていた人だったね。背が小さくてコロコロした体格だったけど、とにかく声が出る。試合中も指揮官自らがベンチ前に出て「ツーアウト!ツーアウト!」と大声で叫ぶんだけど、その姿は神宮の六大学ファンからも愛されていたよ。
御大は1、2年生よりも3年、4年と上級生になればなるほど厳しい指導をしていた。普通なら掃除は下級生がやるものでしょ。でも明治では便所や風呂場など一番汚いところは4年生が掃除をするんですよ。ユニホームの洗濯も必ず自分でやらなければいけない。しかも洗濯機は使っちゃダメで手洗い厳守。後輩に洗濯させようものなら容赦なくゲンコツが飛んできたね。
厳しい監督だったけど、選手に対する面倒見がすごくいい。御大は選手と同じ寮に住んでいたんだけど、4年生はリーグ戦前になると部屋に呼ばれて「これ食えあれ食え」とまんじゅうなんかをよく食べさせてもらったなあ。部員の就職活動にもすごく熱心で明治大の野球部員は御大の力もあってみんな一流企業に就職していたよ。
厳しさと温かさの両方を持っていた御大だけど、とにかく早稲田と慶応に対するライバル心にはすごいものがあった。「早慶には絶対に負けるな!」っていつも言っていたからね。もしも早稲田や慶応との試合でミスをして負けるようなことがあればたいへんだったよ。そのまますぐ帰って、内野手ならノックを何時間も浴びせられた後、自分のポジションで正座して「野球の神様、すみませんでした」って謝るんだ。投手はもっとたいへんだった。「1000球投げろ!」って言われるんだから。
今の時代では考えられないけど、ホントにやらせていたからね。御大はマウンドの後ろで椅子に座って計測器で何球投げたか測っているんですよ。でも途中で寝ちゃったりすることもあったから計測器の球数が進まない。そんなときは捕手が大声を出して御大を起こしていたね。
1975年、俺が1年生の秋のリーグ戦、開幕カードでいきなり東大に連敗してしまった。東大に勝ち点を許すなんてまずありえない。「これはヤバい」と先輩たちはみんな真っ青になっていた。早慶に負けるのとはレベルが違うからね。ところが御大は東大に連敗しても怒らなかったんだよ。「帝国大学にはいいんだ。負けても」って言ってた。これにはみんなホッとしていたけど、それだけ早稲田と慶応に対する意識はすごいものがあったんだよね。
でも当時の六大学には早慶よりももっと手ごわいチームがあった。それは法政。なぜならば怪物・江川卓さんが法政のエースとして投げていたからだ。1学年上の江川さんとの対戦で俺の野球人生は大きく変わることになっていったんだ。
☆とよだ・せいすけ 1956年4月23日生まれ。東京都出身。日大三高では右翼手として74年春の選抜大会に出場。明治大学では77年の東京六大学春のリーグ戦で法政のエース・江川から8打数7安打と打ちまくり首位打者を獲得。「江川キラー」と呼ばれるようになる。78年オフにドラフト外で中日ドラゴンズに入団。内外野をこなせるバイプレーヤーとして活躍し82、88年のリーグ優勝に貢献した。88年に現役を引退後はコーチ、スカウト、昇竜館館長を務め2014年に退団。現在、名古屋市内で居酒屋「おちょうしもん」を経営している。












