【長嶋清幸 ゼロの勝負師(32)】2003年、ダイエーとの日本シリーズは阪神が先に王手をかけた。福岡で2連敗したけど、甲子園で3連勝。再び福岡に行って第6戦を落としてタイにされ、断然、向こうがいい流れになってしまった。ダイエーは左投手を打てないと分かっていたので、第6戦はトレイ・ムーアでいけば勝てるぞ、なんて話をしていた。そうしたら星野仙一監督が「それは分かっとる。でも俺は伊良部秀輝に何度も助けられた。心情として伊良部にいかせたい」と。そう言われたらいかせるしかない。結局3勝4敗と逆転されて日本一は逃してしまったけど、仕方がないね。

 星野さんはその年限りで退団。日本シリーズ直前に聞かされたので驚いたけど、体調面が理由とのことだった。しんどい姿を俺らには見せなかったね。でも、たまに「監督、大丈夫ですか」って聞くと「それがなあ。毎日ホテルに帰ってもトレーナーが付いてきて血圧測ってよう。血糖値が上がるからって夜も飯を食わずに寝てんだ。疲れるよ、こんな生活」ってコボしていたね。

 星野さんに代わって監督に就任したのは守備走塁コーチだった岡田彰布さん。それこそ野村克也さんに匹敵するくらいのすごい野球観を持っている人で、一軍監督になったら絶対に優勝すると思っていた。俺も二軍で残れるという話があったんだけど…。

 日本シリーズ終了後、俺のところにラジオパーソナリティーの唐渡吉則さんから連絡があった。「落合が電話番号を教えてくれと言っとるぞ」と…。そうしたら落合博満さんから電話がきて「お前、今何やってんだ?」って。何をやっているって、この間まで日本シリーズで一塁ベースコーチに立っていたんだけど。その時点で岡田さんの一軍組閣に入っていれば誘いを断っていたかもしれないけど、入っていなかった。すんなり中日に行こうと決めた。

 04年から落合新監督のもとで一軍打撃外野守備走塁コーチ。全部やん。落合さんからはコーチ陣に「俺もしばらく業界から遠ざかっていたし、実際に現場でやっていない。分からないこと、違うことがたくさんある。俺が呼んだということは全権を任せるということ。何かあったら『監督がやれと言っている』と使っていい。事後報告でもいいから、どんどんやってくれ。責任は俺が取る」という感じの話があった。

 中日とは阪神の時に何度も対戦していて、何でこういう打順を組むんだろう、なんでこういう野球をするんだろうと、自分なりの「?」がいくつかあった。これは勝てないんじゃないかとか。荒木雅博、井端弘和が鉄壁だといっても勝てるわけじゃない。アレックス・オチョア、谷繁元信、福留孝介…この辺を中心に森野将彦が頑張ってくれればと思っていた。俺が前年まで敵として戦い、疑問に感じたことを監督に言った。荒木がそれまで8番だったこと。これは意味がないと…。

 ☆ながしま・きよゆき 1961年11月12日、静岡県浜岡町(現御前崎市)出身。静岡県自動車工業高から79年ドラフト外で広島入団。83年に背番号0をつけて外野のレギュラーに定着し、ダイヤモンドグラブ賞を受賞。84年9月15、16日の巨人戦では2戦連続のサヨナラ本塁打を放って優勝に貢献し、阪急との日本シリーズでは3本塁打、10打点の活躍でMVPに輝く。91年に中日にトレード移籍。93年にロッテ、94年から阪神でプレーし、97年に引退。その後は阪神、中日、三星(韓国)、ロッテでコーチを続けた。2020年に愛知のカレー店「元祖台湾カレー」のオーナーとなる。