【越智正典 ネット裏】ベーブ・ルースの二刀流は1914年、インターナショナルリーグのボルチモア・オリオールズから入団したボストン・レッドソックスで始まる。

 第1年の投手成績は2勝1敗だったが、オフは契約金で買った自転車を乗り回して上機嫌。第2年に18勝8敗。1915年は阪神の豪球豪打、猛将・景浦将が「春や春十五万石の城下かな」(子規)愛媛県松山で生まれた年である。

 景浦もアジア太平洋戦争で45年5月20日、フィリピンのカラングラン島で戦死。帰らぬ人となった。もう少しで終戦だったのに…。5月20日は王貞治の5歳の誕生日である。

 ベーブ・ルースの3年目は23勝12敗。それから24勝13敗、13勝7敗、9勝5敗、計89勝46敗。ヤンキースに移籍後「世紀の本塁打王」になり、功成り名を遂げた晩年にも投げて5勝を挙げている。脱帽。通算94勝46敗。

 ルースのワールドシリーズでの力投はもっとすごい。16年、レッドソックスはナショナルリーグの覇者、ブルックリン・ロビンズと対戦した。チームの愛称がドジャースになるのはもう少し後のことである(野球博覧編・大東京竹橋野球団=2014年刊)。

 チームの愛称が決まるのは時間がかかるようだ。堤哲氏によると、日本でも国鉄スワローズが誕生したとき、公募作に「コンドル」(ハゲタカ)が多かった。国鉄が「混んどる」のはよくないからとボツ。特急「つばめ」から「スワローズ」が当選した。「座ろう」がよかったのだそうだ。

 左腕ベーブ・ルースは対ロビンズ1敗のあとの第2戦に登板。ひとりで延長14回を投げ、2対1で勝ち。これが勝敗分岐点となって4勝1敗で世界制覇を果たした(野球博覧)。

 18年は、36年に広陵中学(一塁手)から巨人に入団、茂林寺の猛練習で「逆シングル」の名遊撃手、のちに広島カープ監督、白石勝巳の誕生年で、有名人では田中角栄が生まれた年である。

 レッドソックスはシカゴ・カブスと対戦。ルースは第1戦1対0、第4戦3対2で勝ち投手となり2勝。ワールドシリーズ、連続無失点29回2/3の大記録を樹立した。

 二刀流の打撃は第1年(14年)こそ10打数2安打、二塁打1、打率2割であったが、二刀流6年目までの通算成績は1110打数333安打、49本塁打で打率3割。長距離打者へのつぼみが、ふくらんでいる。

 20年1月3日、レッドソックスとヤンキースの間でベーブ・ルースの金銭トレードが成立した。

 ヤンキースは三原脩の得意のセリフを借りて言うと「花は花どき咲かせどき」で、ボストン最終年に130試合で29本塁打を放って本塁打王。27年に151試合で60本塁打で本塁打王…などホームラン王11回のベーブ・ルースを獲得した。

 レッドソックスのオーナー、ハリー・フレージーは、とりあえず12万5000ドル(当時の1ドルは日本円で約2円、現在の600円程度)。あとから30万ドルをローンで、ヤンキースのオーナー、ラパート大佐から受け取る。鶴岡一人のセリフを借りると「商売、商売」である。=敬称略=