【長嶋清幸 ゼロの勝負師(22)】中日に在籍した1991~92年の2年間は落合博満さん、宇野勝さんと3人でよく一緒に食事をした。落合さんは絶対外へ食べに行かない人だったし、宿舎で1人にするわけにはいかないから。落合さんは高木守道監督と合わなくて、よく守道さんの批判をしていた。食事会場でも守道さんが近くにいるのに「今日の試合さー、あそこであれはねーよなー」と言ったりね。
こんなこともあった。落合さんって業界一、バットを大事にする人なんだけど、守道さんの采配に怒り狂って柱にバットをぶつけた。それをゴミ箱に放り投げたもんで、俺が後ろから「これ、もらっていいですか?」と聞いたら「やるわ」って。あの人がそんなことでバットを人にあげたのは後にも先にもない。芯の部分がベコンとへこんだバット。結構レアでしょ(笑い)。それくらい落合さんって守道さんとダメだった。
打撃については「神の領域」で、何をしてもレベルが違う。練習量とかではなく、自分のものを作り上げちゃった人なんだ。俺らはいくら作ってもまた次にいろんな課題が出てくるんだけど、あの人は作ってきたものを基本にして、そこからいろんな投手に対してちょっと工夫するだけで、簡単にやれちゃう。
天才というか、本当に自分の打撃というものを作った人。マネができない。例えばバットを置いて1年間休んでも「いざ打って」となったらカーンと打てる。もう完成しちゃっているから、自分の体はキャンプで落合流、オレ流で作ればいいだけ。昔のロッテ時代は相当練習していて、元旦から打っていたと聞いた。
ノックをやっていても、スタンドの看板を見て「あそこに当てるよ」って言ったら本当に当てちゃう。ウソでしょう?って。山本浩二さんもすごかったけど、ホームランできないボールをホームランにするわけで「もしヒットだけでいいなら俺、4割打てるな」って言っていたもんね。
移籍して最初のキャンプは付きっ切りで見てくれた。全体練習が終わって室内で自分の打撃なんかせず、タイヤの上に座ってずっと俺の打撃を見て「あー違う」「今の今の」「それを続けるんだよー」って言いながら、最低でもマシンで500球。どれだけバット振りゃいいんだっていうくらい付きっ切りだよ。入団時から「俺が打てるようにしてやるから心配すんな」「お前はいいもん持っている。あとはちょっとしたことだ」って言ってくれていたからね。
初年度、6月にケガをするまでは打率2割8分くらい打てていた。ホームランも増えてきて、これから、という時に右膝靱帯と半月板の損傷…。ケガがなければ、代わりに出た彦野利勝も後に靱帯をやらずに済んだよねえ。2年間、落合さんと一緒にやらせてもらって本当に幸せだった。
☆ながしま・きよゆき 1961年11月12日、静岡県浜岡町(現御前崎市)出身。静岡県自動車工業高から79年ドラフト外で広島入団。83年に背番号0をつけて外野のレギュラーに定着し、ダイヤモンドグラブ賞を受賞。84年9月15、16日の巨人戦では2戦連続のサヨナラ本塁打を放って優勝に貢献し、阪急との日本シリーズでは3本塁打、10打点の活躍でMVPに輝く。91年に中日にトレード移籍。93年にロッテ、94年から阪神でプレーし、97年に引退。その後は阪神、中日、三星(韓国)、ロッテでコーチを続けた。2020年に愛知のカレー店「元祖台湾カレー」のオーナーとなる。












