【長嶋清幸 ゼロの勝負師(5)】1984年の9月15、16日の巨人戦で2試合連続のサヨナラ本塁打を打つことができた。俺、ホームランバッターじゃないし、年間20本って決まっていたから(笑い)。オープン戦で5本、シーズンで15本くらいだよ。
チームは10月4日の横浜大洋戦で4度目のリーグ優勝を決めた。でも自分は打率2割7分6厘、13本塁打で、また3割に届かなかったからモヤモヤしたものが残った。レギュラーだった時期の中では低い数字。それを阪急との日本シリーズで吹っ飛ばしたいところだったけど、阪急には仲のいい選手が多かった。いつも米国での教育リーグに連合チームで行っていたから松永浩美さん、石嶺和彦さん、福良淳一さんとか、当時の若手ってすごいみんな仲良かった。上田利治監督も元広島だし、福本豊さんも話しやすかったね。
だから楽しかった。ただ山田久志さんとかすごいスター選手だし、ブーマーがいてとんでもない打線。当時はオープン戦のデータくらいしかない中、俺は7戦3本塁打、10打点の活躍ができた。タイプ的に短期決戦に強いだけってこと? 長続きしない。性格なんだろうけど、なんでこれがシーズンに生きないのかって思ったよ。シーズン中を1か月ごとに区切って取り組んだこともあったもん。
神がかっているというか、自分が自分じゃないという感覚はあった。10月13日の初戦で山田さんから8回に打った逆転2ランなんか、入るか入らないかという、自信のある打球じゃないのに入っちゃう。それで勝っちゃうって「すげえんじゃねえの?」っていう感じ。
3戦目は佐藤義則さんから3回に満塁本塁打。当時の佐藤さんって尋常じゃない球の速さだったし、西宮球場の146~147キロだと実際は150キロは余裕で超えている。尋常じゃない速さのボールに体が反応した。捕手は同級生で仲良しの藤田浩雅で、こいつは性格的にピンチの時は打者の弱いところを絶対に攻めてくる、と思ったらインハイに来た。
さらに第7戦は6回に再び山田さんから同点ソロを放った。先頭打者が初球から普通は打ってこない、簡単にストライクを取れる…という持論があったんでしょう。その結果がああなった。長嶋は何をやってくるかわからんぞ、という頭がなかったんでしょう。
後年、山田さんと話した時に「お前にそんなこと考える必要はなかった。初球からシンカー投げときゃよかった」って後悔していましたよ。投手の考えることと、その逆の考えと…いろんな巡り合わせがあるよねえ。
広島は4勝3敗で阪急を下して3度目の日本一に輝いた。これは自分にMVPがあるかもしれない…でも、俺はMVPというものをまったく信用していなかったんです。なぜなら…。
☆ながしま・きよゆき 1961年11月12日、静岡県浜岡町(現御前崎市)出身。静岡県自動車工業高から79年ドラフト外で広島入団。83年に背番号0をつけて外野のレギュラーに定着し、ダイヤモンドグラブ賞を受賞。84年9月15、16日の巨人戦では2戦連続のサヨナラ本塁打を放って優勝に貢献し、阪急との日本シリーズでは3本塁打、10打点の活躍でMVPに輝く。91年に中日にトレード移籍。93年にロッテ、94年から阪神でプレーし、97年に引退。その後は阪神、中日、三星(韓国)、ロッテでコーチを続けた。2020年に愛知のカレー店「元祖台湾カレー」のオーナーとなる。












