【長嶋清幸 ゼロの勝負師(2)】1983年ごろの俺は打撃をすごく期待され、背番号「0」を背負ってレギュラーになれた。もともと3年やってダメならやめようと思っていたし、こんなすごい人たちの中でレギュラーなんて取れるわけないと思っていたのに…。
ドラフト外で知らない高校から入団している俺なんて、初めは相手にもされない。そんな俺の打撃に注目してくれたのは“ミスター赤ヘル”山本浩二さんだった。ルーキー時代のキャンプ中、みんなと練習させてもらえず「お前は1人で鳥カゴで打っとけ」と言われて打っていたら、たまたま浩二さんが通りがかって俺のスイングを見てくれた。それで翌日に「お前はメイン(組)で打て」と言われたんです。今まで鳥カゴ(ネットで囲われた打撃練習スペース)でしか打っていなかったのに何で? あとで聞いたら浩二さんが「あいつはええスイングしとる。メインでやらせた方がええ」と言ってくれたらしくて、それから古葉竹識監督やコーチが見てくれるようになった。浩二さんのおかげだね。
レギュラーで全試合に出場した83年は、打率2割9分5厘、13本塁打で3割に届かなかった。自分も物足りなかったし、周りも「なんでお前が3割打てんのや。ムラがありすぎるわ」なんて言われてね。自分で原因を分析したら…。
俺って相手が弱いと燃えないタイプなんだよね。横浜大洋とかヤクルトとかだと…。巨人は強くて一番大きな存在だし、阪神なんて甲子園球場に入ると「こんなグラウンドで野球ができる。不真面目にやったら野球の神様にバチが当たる」と思った。甲子園だけは絶対に真剣やらないかん、とね。中日も地元の静岡に近いし、たまに名古屋の試合を親が見に来ていたからこちらも真剣にやらないかんし、気合が入った。
相手が強いほど燃える。プロとしてエース級を打てなかったらやっていけない、という思いを根付かせてくれたのは当時巨人の西本聖さん、江川卓さんだった。まだレギュラーになる前、代打で対戦した時のボールのすごさは尋常じゃなかった。歯が立たない。トップレベルは球の質が違う。
145キロ以上のボールへの対応って「予測」で打つというんです。ここでインパクトを迎えるであろう予測で打って、自分では見えているようで実際は見えてない。あの2人のボールはその予測を超えてくる。
普通の投手だと打てる確率は上がるし、打率も上がるかもしれないけど、それじゃ満足できない。2割9分5厘でも大物は打てていなかった。逆に中継ぎで敗戦処理をしていたころの巨人・斎藤雅樹なんかは「大したことないなあ」なんて思っていたのに、後々ローテに入って球が変わってきたら手も足も出なくなった。それから打倒・斎藤になりましたよ。
レギュラーとして先輩たちと話す機会が増えるようになると、守備への意識も変わっていった。
☆ながしま・きよゆき 1961年11月12日、静岡県浜岡町(現御前崎市)出身。静岡県自動車工業高から79年ドラフト外で広島入団。83年に背番号0をつけて外野のレギュラーに定着し、ダイヤモンドグラブ賞を受賞。84年9月15、16日の巨人戦では2戦連続のサヨナラ本塁打を放って優勝に貢献し、阪急との日本シリーズでは3本塁打、10打点の活躍でMVPに輝く。91年に中日にトレード移籍。93年にロッテ、94年から阪神でプレーし、97年に引退。その後は阪神、中日、三星(韓国)、ロッテでコーチを続けた。2020年に愛知のカレー店「元祖台湾カレー」のオーナーとなる。












