【冬季五輪の主役たち(連載3)】1998年長野五輪は72年札幌大会以来、24年ぶり2度目の国内開催。日本勢は冬季大会史上最多(当時)となる計10個のメダルを獲得した。そんな大会のハイライトといえば、感動を生んだスキージャンプ男子団体金メダルだろう。

 岡部孝信、斉藤浩哉、原田雅彦、船木和喜で臨んだ団体は大雪の中で行われた。1本目、岡部と斉藤が上々の飛距離をマークしてトップに立ったが、原田ら3番手のグループを迎えると、さらにコンディションが悪化。原田は激しく降りつける雪の影響で思うような助走ができず、79・5メートルにとどまった。続く船木が終えた時点で日本は4位。「4年前と一緒でダメなのか…」。そう思ったファンも少なくなかったはずだ。

 92年リレハンメル五輪。選手自身はもちろんのこと、多くの国民にも〝悪夢〟として刻まれた大会だ。団体で日本は最終グループ(4番手)の2本目を残して2位ドイツを大きくリード。日本の金メダルは世界選手権で頂点に立つなど日本のエース原田に託された。

 しかし…。

 直前にドイツのバイスフロクが135・5メートルの大ジャンプを披露。それでも日本が有利の状況に変わりなく、原田がK点より手前の105メートルを飛べば優勝だったが、重圧を感じたのか97・5メートルの失敗ジャンプ。土壇場で金メダルを逃した。

 そして、今回は悪天候のため2本目開始直後に競技が中断。このまま終了すれば〝リレハンメルの悲劇〟に続いて優勝を逃すことになる。そうした中、25人のテストジャンパーが強風の中で試技を行い、全員が点灯せず、競技続行が決まった。

 2本目、岡部、斉藤が好記録を出し、再び首位に立った日本は、3番手の原田が不安ムードを吹き飛ばした。「足が折れてもいい」と腹をくくったジャンプで137メートルをマーク。船木もこれに続き、悲願の金メダルを手にした。また、原田が最終ジャンパーの船木に向け「ふなきぃ…」と言葉を絞り出して声援を送った場面は、今でも語り継がれている。

 一方、金メダルに〝貢献〟したテストジャンパーの活躍は映画化され「ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~」として昨年6月に公開された。