野球漫画界の巨匠が天国へ旅立った。数々の名作を世に出した漫画家の水島新司さんが10日に逝去。阪急などで活躍し、史上14人目の完全試合も成し遂げた今井雄太郎氏が、同郷・新潟出身の恩人との別れを悼んだ。「あぶさん」では主人公の親友として実名で登場した経緯もあり、現役時代に親交の深かった故人への追悼コメントを寄せた。


 感謝しても感謝し切れない。水島さんには現役時代、本当にお世話になった。

 同郷の新潟県出身で、いつも気にかけてくれていた。人気漫画「あぶさん」にも主人公の景浦安武の親友・今井雄太郎として実名で登場させてもらったことは、私にとって今も「宝物」だ。

 阪急でプレーしていた当時、エースの山田久志さんから水島先生を紹介され、銀座のクラブで初めてお会いした。あれは確か1978年のシーズン中だったと記憶している。酒席でお会いした水島先生はとても物静かな方だった。しかも私や山田さんと違って、お酒を一滴も口にしない。飲んでいたのはコーヒー。私が酒を飲み干す姿をジッと見つめ、話が盛り上がると時々白い歯を見せながらうなずく。思えば、あの酒席であらわになる私の一挙一動を頭の中に叩き込んでいたのだろう。

 その後、ふと気付くと私は〝酒仙投手〟として準レギュラーのような扱いで「あぶさん」に登場するようになっていた。漫画の中で描かれている自分は恥ずかしながら感心させられるぐらいにそっくりだった。とにかく水島先生は洞察力にとても優れていた。

 まさか人気漫画に自分が登場するなんて夢にも思わなかった。だから、とてもうれしかったし「あぶさんの今井雄太郎に負けられない」と自分に言い聞かせ、励みになったことを思い出す。

「あぶさん」の効果は絶大だった。準レギュラーのようになると、子どもたちの間でも「今井雄太郎」の名前が知れるようになり「今井さん、あぶさんでいつも読んでますよ!」などと頻繁に声もかけられたものだ。トレードマークのメガネをかけてマウンドに立つ姿は漫画でも、まったく一緒。このような素晴らしい人気漫画で私を題材として扱ってくれること自体、これまで想像すらできなかったことであり、とてもありがたく光栄だった。すべては水島先生のおかげだった。

 このころはパ・リーグがまだ今のように人気がある時代ではなく、スポットライトを浴びていたのはセ・リーグの選手ばかり。なかなか日の目を見なかった当時のわれわれを題材として取り上げていただいた水島先生はパ・リーグ発展の大功労者だ。異論をはさむ人など、誰一人いないだろう。

 私が1991年にオリックスからダイエーへ移籍した時も、景浦と同じホークスが新天地となり「あぶさん」に出させてもらった。そして、そのシーズンを最後にユニホームを脱ぎ、オフに故郷の新潟で開催した引退記念パーティーにも私のためにわざわざ足を運んでくださった。席上で水島先生から満面の笑みとともに「お前は引退じゃない。休みを取っただけや。復活するんや」と力強くゲキを飛ばされたことが今も脳裏に焼き付いている。

 水島先生、あなたとの出会いがなければ今の私はありませんでした。この場を借りて、あらためて御礼を申し上げます。合掌――。(元阪急投手・今井雄太郎)