【久保康生 魔改造の手腕(20)】 前話では2005年に球界を席巻した「JFK」のお話をさせていただきました。ただ、その3人に匹敵する投手もブルペンを支えてくれていました。
阪神ファンの皆さんの間では「SHE」と言われていた3人です。桟原将司(大阪・北新地「とり焼き さじ」経営)、橋本健太郎(阪神打撃投手)、江草貴仁(阪神二軍投手コーチ)の面々ですね。
橋本はアマチュア時代に強化選手として近鉄のキャンプにも参加していました。05年にルーキーと新任コーチとして同じユニホームを着ることになり縁を感じたものです。
本当にすごい投手陣でした。ブルペンはほぼ「JFK」と「SHE」の6人で回してましたからね。勝ちパターンで僅差でも、どんな場面でも起用に困らないブルペン陣でした。
優勝した05年ドラフトで入団してきた渡辺亮(阪神アマスカウト)も印象に残っています。社会人・日本生命から150キロの直球の持ち主という触れ込みでしたが、1年目の06年は一軍登板なしに終わりました。
のちに貴重な戦力になってくれましたが、入団当初は直球が走らず「150キロはどこに行ったんだ?」とハッパをかけたものです。
そんな渡辺には06年の秋季キャンプから、07年シーズンにかけてナックルボールを毎日投げるよう指導させてもらいました。当時は記事で取り上げてもらったので、記憶に残っているファンの方々もいるかもしれません。
もちろん、ただの話題作りではありませんでした。ナックルを投げるというのはちゃんと順序がこうあって、しっかりトップ(リリース直前、肩関節が外旋しきった状態)で手首が立っていないと投げられない球種なんです。
当時の渡辺のフォームはトップの位置が定まらず不安定でした。指先からボールに力を伝える大事なタイミングがボヤけていては、いい直球は投げられません。
ファームでも当時の葛西稔二軍コーチに、ずっとナックルを投げ続けるよう指示していました。そしてある日、葛西コーチから連絡がありました。「ゲームで直球を投げたらすごく良くなってますよ」と。
渡辺は07年4月22日に初めて一軍登録され、同じ日の巨人戦でデビューしました。そこから12年まで6年連続で40試合以上に登板してくれました。すべて救援登板で通算362試合、75ホールドポイント、防御率2・64。本当によく投げてくれました。
実は以前、近鉄と業務提携していた米大リーグ・ドジャースの元監督トミー・ラソーダさん(21年1月93歳で死去)から、聞いていた話があったんです。「崩れてしまっている投手はナックルボーラーにさせろ」ってね。既成概念にとらわれない、そういった引き出しも役に立ち、ナックルが功を奏してくれました。
身長175センチと大柄ではなかったですが、渡辺は岡田阪神、真弓阪神の時代を中心にブルペンを支えてくれました。しっかり右手が上がり、ボールの重みがかかったトップの位置から理にかなった直球を投げていました。社会人時代の触れ込み通り150キロのボールでセットアッパーも務めてくれました。
現在、私はクラブチームの大和高田クラブでアドバイザーをさせていただいています。阪神・渡辺亮スカウトとは現場でもお会いします。先日、我々のチームと社会人・日本新薬の試合がありました。そこに姿がありました。タイガースで活躍し、現在もチームの力になっていると思うとうれしい限りです。
☆くぼ・やすお 1958年4月8日、福岡県生まれ。柳川商高では2年の選抜、3年の夏に甲子園を経験。76年近鉄のドラフト1位でプロ入りした。80年にプロ初勝利を挙げるなど8勝3セーブでリーグ優勝に貢献。82年は自己最多の12勝をマーク。88年途中に阪神へ移籍。96年、近鉄に復帰し97年限りで現役引退。その後は近鉄、阪神、ソフトバンク、韓国・斗山で投手コーチを務めた。元MLBの大塚晶文、岩隈久志らを育成した手腕は球界では評判。現在は大和高田クラブのアドバイザーを務める。NPB通算71勝62敗30セーブ、防御率4.32。












