【プロレス蔵出し写真館】12月8日、〝黒い荒馬〟ブラックジャック・ランザが亡くなったと米メディアが報じた。86歳だった。
オールドファンの中には「ああ、ジャンボが防衛戦をやった…」。そう思った方もいたのではないだろうか? ランザはジャンボ鶴田が米国でAWA世界ヘビー級王座防衛戦を行った最初の相手だった。
ランザが鶴田をスリーパーホールドに捕らえ、右手の拳でこめかみから頬骨の当りをグリグリ(写真)。テキサスブレーンバスターと称する得意技に苦悶する鶴田。この場面が試合の見せ場で、最後はフライングボディシザースドロップを食らいランザがフォール負けした。
謹んでご冥福をお祈りします。
さて、鶴田が日本人初のAWA世界ヘビー級王座に就いたのは、今から37年前の1984年(昭和59年)2月23日、東京・蔵前国技館。保持していたインターナショナルヘビー級王座を賭け、ニック・ボックウィンクルとダブルタイトル戦を行った。
鶴田がロープ越しのブレーンバスターを切り返しバックドロップホールドを決めると、特別レフェリーを務めたテリー・ファンクとサブレフェリーのジョー樋口が、2人一緒に3カウントを数えるという、珍しいフィニッシュシーンを演出した。
インタータッグ王座も保持していた鶴田は3冠王者に輝き、3日後の26日、大阪で行われたニックとの再戦を両者リングアウトの引き分けでクリア。3月2日に王者として渡米し、AWA地区をサーキットして防衛戦も行った。
米国での第1戦は3月3日、ウィスコンシン州ミルウォーキー。天龍源一郎とのタッグでビル・ロビンソン&ロニー・ガービン組と対戦。4日にイリノイ州シカゴでランザと海外初防衛戦で戦った。
5日はミネソタ州ミネアポリス市内のチャンネル29UHF局テレビ特設会場でジミー・マック、ナチュラル・ベアと2人の〝ジョブボーイ〟を相手に宣伝用のテレビ収録を2試合。10日には、当時NWAの総本山といわれたミズーリ州セントルイスのキール・オーデトリアムに登場。天龍と組みグレッグ・ガニア&テッド・オーツ組のカードが組まれた。
そして、11日にウィスコンシン州グリーンベイでロビンソン、15日はユタ州ソルトレークシティでジム・ブランゼルの挑戦を退け、米国で3度の防衛に成功し王者のまま帰国する。
この遠征で今でも記憶に残っているのは、常に飄々としている鶴田が怒りの表情を見せたこと。鶴田とタクシーに乗っていると、黒人の運転手がカメラを持った私を見て「プレス? 何の取材?」と聞いてきた。私がプロレスと答えると、まさか鶴田がプロレスラーとは思わなかったのだろうが、運転手は鼻で笑って「funny」とつぶやいた。鶴田は、ムッとして押し黙った。
それでも、遠征最後のブランゼルとの防衛戦では、試合前に「今日のフィニッシュは何がいい?」などと冗談めかして軽口を叩くなど、いつもの絶好調の鶴田だった。
AWA王座はその後、日本で3度、再度渡米して9度の防衛を果たし5月13日、ミネソタ州セントポールでリック・マーテルに敗れるまで計16度の防衛を果たした。
この年の7月には、JALの国際線キャビンアテンダントだった荒牧保子さんとの婚約を発表して、3月の米国遠征での帰国便に保子さんが乗務していたという秘話が明かされた。
9月に挙式した鶴田にとって、84年は仕事もプライベートも充実した、忘れられない年になったろう(敬称略)。












